11.10
2008年11月10日 私と暮らした車たち・その9 ゴルフの2
前回、初代ゴルフのデザイナー、ジウジアーロに触れた。今日になって思い出したことがある。今回はのっけから寄り道をすることをお許しいただきたい。
えっ、お前の文章は、そもそもすべてが寄り道だって……。
それをいっちゃあ、お終いだよ、という気がしないでもないが、当たっているんだよなあ……。
日本にも、ジウジアーロがデザインした美しい車が存在した。いすゞ・117クーペという。ウィキペディアによると、1968年から1981年まで生産された。ほぼ同じデザインでこれほど長く作り続けられるのは、日本では異例である。そのことだけでもデザインの秀逸さが分かる。
が、話の主役はこの車ではない。
私が三重県津市に勤務していた時、この車を新車で購入した同業者がいた。確か福本君といった。
憧れの車を手にした福本君は舞い上がった。よせばいいのに、口の悪い我々同業者にこの新車をご披露に及んだのである。
ある日、彼は同業者のたまり場に新車で乗り付けた。
「ねっ、見てよ、見てよ!」
我々の口の悪さも、この車の美しさでねじ伏せられるとでも考えたのだろう。嬉しくてたまらない福本君は、手を引かんばかりの勢いで、我々を駐車場に誘った。
「いいだろ、これ。格好いいだろ!」
確かに美しい姿である。惚れ惚れするような優美さがある。ゴルフとは対極にある美であるとも言える。
まあ、いい。こいつは私の車ではないのだ。当時の私は、カリーナ1600STのオーナーである。車は走ればいいと考えていた。この車の美しさは充分に分かっても、この車を所有したいという物欲とは無縁であった。
「ふーん、ちょっと運転席に座っていいかな?」
といったのが誰だったか忘れた。とりあえず、私だったことにしておこう。
ドアを開けて運転席に乗り込もうとした。座席がハンドル近くに移動してあり、慎重182cmの私は乗り込めない。座席をずっと後ろにずらした。座席に座り、ハンドルを握る。
「ほんと、格好いいね。デザインがいいのは外観だけじゃないんだ」
感じたところを述べた。福本君は嬉しそうに、
「ね、ね、そうだろ」
と満面笑みを浮かべた。事件は、その後起きた。
「じゃあ、俺、行くところがあるから」
愛車のお披露目を済ませて意気揚々の福本君は、ニコニコ顔でいすゞ・117クーペの運転席に乗り込んだ。乗り込んだのはいいが、福本君の足はアクセル、ブレーキ、クラッチ、どのペダルからも遠く離れていた。手はかろうじてハンドルを握っているが、背中は背もたれから大きく浮いている。
「大道君、君は大きいんだねえ」
そういいながら福本君は、シートを前にスライドさせた。どんどんスライドさせて、それ以上前には出ないところで止まった。それでも、ペダルが遠いように見えた。
福本君は160cmあるかな? という小兵だったのである。彼のように背が低いドライバーがいることは、ジウジアーロのデザイン思想に盛り込まれていなかったのかも知れない。
「福本君、高下駄を履いて運転した方がいいんじゃないの?」
と私が口走ったかどうか。記憶は曖昧である。だが、そう思ったことだけは明瞭に記憶している。
福本君のいすゞ・117クーペには後日譚がある。
数ヶ月後だった。久しぶりに顔を合わせた福本君に、何の気なしに聞いてみた。
「車、調子いい?」
意外な言葉が福本君から帰ってきた。
「それがさあ、雨漏りするようになっちゃってさあ。いま修理工場に入っているよ」
ちなみに、いすゞ・117クーペはオープンカーではない。写真で見て頂いたように、立派な屋根がある。なのに、買って1年もしないうちに雨漏り……。私の中古のカリーナ1600STだってそんなことはないぞ!
私は思う。雨漏りの責任は、初代ゴルフもデザインしたジウジアーロにはない。だって、私のゴルフは雨漏りなんかしなかったもん。
にしても、雨漏りのする新車を堂々と市場に出すメーカーって……。あ、いすゞはもう、乗用車は作ってないんだっけ?
思わぬ寄り道、いや、思った通りの寄り道で時間を食った。わが3台目の愛車、ゴルフに話を戻す。
首都圏に居を移したころから、釣りの趣味が高じたことは「グルメらかす 第11回:カワハギのキモ」ですでにご報告した。
(余談)
と書くために、「グルメらかす 第11回:カワハギのキモ」を読んだ。愕然とした。何とここに、ゴルフに買い換えたいきさつをすでに書いているではないか! 中古にしたいきさつも書いてある。その主因が、3人の子どもにかかるコストであることも明示してある。彼の原稿を初めてアップしたのは2003年9月19日とあるから、わずか5年前に書いたものではないか。それをすっかり忘れて前回の原稿を書いた私。いやはや、忘却はすでにして我が親しき友になりおおせたか……。
月に2回は、ゴルフを運転して釣りに出かけた。浦安にいたころは、息子を伴って木更津に向かった。船で沖の堤防に渡り、もっぱら黒鯛を狙う。
横浜に転居してからは、ゴルフのハンドルを握って三浦半島、伊豆半島、湘南海岸、様々なところに出かけた。
名古屋時代の同僚と語らって熱海に出かけ、夕方まで釣り糸を垂らし、夜は宴会、翌朝は早起きして再び釣り、という遊びもした。西伊豆の戸田(へた=現在は沼津市になったようだ)の釣り宿に泊まり、相模湾に魚を求めたのもこの仲間たちとの遊びである。
海岸から釣り、堤防から釣り、岩場に分け入って釣り、船に乗って釣った。釣果があることもあり、ないこともあった。
無論、釣果があるに越したことはない。だが、釣り師は釣果にはこだわらない。1週間ほど前から釣行の準備に入る。リールを点検し、狙う魚に合わせて針を選び、ハリスを結ぶ。この準備が何より楽しい。
当日は潮風に吹かれ、腹が減れば持参のにぎりめしを頬張る。例えおかずは漬け物しかなくても、天下の美味を感じ取る。
ある知人がいった。
「いやあ、先週は釣りに誘ってもらって楽しかった。まさに、釣りとは浩然(こうぜん、こうねんと読むことも)の気を養う遊びですな」
この知人、教養人である。 私の知らない難しい言葉を知っている。浩然の気。すぐに辞書を引いた。「俗事にとらわれない、広く大きな気分」(asahi.comの大辞林より)とある。ふーん、たかが釣りをそんな風に感じる人もいるのか。
釣りとは、なかなか勉強になる遊びである。
中央官庁に勤める知人2人とは、千葉県・大原まで出かけ、外房の太平洋で鯛を狙った。前日夕からゴルフで現地に赴き、官庁関係の宿泊施設に泊まった。翌朝は3時半起きである。酒も夕食もそこそこに、布団に潜り込んだ。
まだ真っ暗な4時、釣り船に乗り込む。船はこれから網を引き、鯛を釣るためのエビを捕獲する。
「へーっ、エビで鯛を釣るって本当なんだ!」
遊びとはやってみるものである。
エビの捕獲が終わり、釣り船はポイントに向かってひた走った。
午前6時、やっと空が白んできたころポイントについた。周りを見ると、あちこちに釣り船の姿がある。我々と同じように鯛を狙っているのであろう。負けるものか。
うねりが大きく、隣の船が見えたり見えなくなったりする。いやあ、これは大変だ。
「船頭さん、今日はずいぶん海が荒れてるね」
感じたままをいった。船頭も感じたままを答えた。
「なーに、今日はベタ凪だって。荒れたらこんなもんじゃねえ」
隣の船が見えなくなるほどのうねりがあってベタ凪……。外海の厳しさも、釣りという遊びを知らねば体感できない。
餌のエビは、足下のバケツで生きたまま泳いでいる。これを1尾掴み、尻尾を噛み切ってそこから針を刺す。これが鯛釣りの基本である。
餌をつけて海に放り込む。鯛が泳いでいるのは海面から40mほど下である。あたりが来ないのであげてみると、餌は見事に取られている。まだ釣果はない。赤い真鯛がキラキラ光りながら水面に躍り上がってくる瞬間を夢見ながら、餌つけの作業を何度も繰り返す。午前8時過ぎた。
同行していたお役人の1人の様子が変わった。おっ、船縁にしがみついちゃったよ。船縁からそんなに乗り出したら危ないって!
「ウェーッ!」
えーっ。彼はその姿勢で、派手にこませを蒔いた。こませとは魚を寄せるためのおとりに使う餌だが、仲間内では、嘔吐物もさす。このお役人、うねりで船が揺られ、船酔いしてしまったのだ。
胃液まで吐きながら、1人が釣りレースから脱落した。
9時半頃だった。もう1人のお役人が変な格好をしている。顔を上に向けたまま、エビの入ったバケツの中に右手を突っ込んでいる。
「何してんの?」
あまりの不思議な行動に思わず聞いた。
「エビを取ろうと思って」
だったら、目で見なきゃ捕まえられないジャン。相手は生きて泳いでるんだしさ」
「いや、顔を下に向けると胃の中身が出てきそうなんで」
ふむ、このお役人、顔を上に向けると嘔吐感が治まるという医学知識を持っているらしい。しかし、この程度のうねりで船酔いする。君のような役人に国を任せて大丈夫か?
2人目がレースから脱落。
かくして私は、ぶっちぎりで釣りレースの覇者になった。釣果は3枚の鯛であった。
てなことで、釣行の回数が重なった。徐々に家族からの圧力が強まった。
といっても、家族をないがしろにして親父が1人だけ遊んでいる、という恨み辛みではない。彼らも、私が釣った魚は喜んで口に運んだ。
土産がある。同じ休日を使う趣味でも、止まった玉をひっぱたいて何が面白いのかいまだに理解できないゴルフとは違うのである。
圧力は別の形でやってきた。
「お父さん、車、臭い」
最初にいったのが誰であったのか、記憶にはない。だが、気が付いた時には、私のゴルフが臭いという認識だけは、私を除く家族全員が共有していた。いや、私にしてからが
「臭うな」
と思い始めていた。
私のゴルフの荷室には、概ね月2回、釣行の道具が積まれた。行きはよい。道具はすべて乾いている。問題は帰りである。海水に濡れた釣り竿、タモ、道具入れ、クーラーがそのまま荷室に積み込まれる。荷室のカーペットには、道具から滴った海水が染みこむ。クーラーからこぼれた海水は魚の臭いを運ぶ。いつしかゴルフの荷室は、海の香りが濃厚に漂う別世界となった。魚屋さんの運搬車はこんな臭いがするのに違いない。
臭い。うん、臭いのである。我が家のゴルフは、魚屋さんの運搬車ではない。我が家のファミリーカーである。これはいかん、と釣行にゴミ袋を持参するようになった。帰りはすべての用具をゴミ袋でくるみ、車に臭いがつかないようにする。ご丁寧にガムテープまで持参した。念には念を入れろ、だ。
だが、新たな臭いはつかないとしても、染みついてしまった臭いはどうしようもない。
「お父さん、やっぱり臭い」
そう、我が家のゴルフはずっと臭かった。
もう一つ問題があった。ゴルフのエンジンである。前回書いたように、私がこのゴルフを選んだのは、ディーゼルエンジンを搭載していたからである。それが、釣行という趣味を持った時、大きな問題として浮上してきた。
最近、次女の旦那がトヨタのハイブリッド車、プリウスを買った。始動時にはモーターを使うプリウスは、無音のまま発進する。エンジンが始動するのはある速度に達した時である。始動時、低速時は誠に静かな車である。
ディーゼルエンジン搭載車は、その対極にある。プレヒートでエンジンを暖め、イグニッションキーを捻って始動すると、突然
ガラガラガラガラ
という大騒音をたてる。運転席にいる私の耳には、ディーゼルエンジンは始動時に最も大きな騒音を立てるようにすら聞こえる。
それだけならどうということもない。世の中にあるディーゼルエンジン車は私のゴルフだけではない。あちらでもこちらでも、
ガラガラガラガラ
という音とともにディーゼルエンジン車が目覚めている。
それらと私のゴルフに、1点だけ違いがあった。私のゴルフは住宅街の中にある我が家の止まっており、私が釣行する時は午前4時半、ないしは午前5時に
ガラガラガラガラ
という音をたてるのである。
音をたてるのが午前8時ならまだいい。みな目覚めている。7時でも許してもらえると思う。だが、午前4時半や5時だったら?
もし、ゴルフディーゼルを持って釣りを趣味とする輩が隣に住んでいたら、私は怒鳴り込む。
「手前、何時だと思ってる? こんな時間に騒音を響かせやがって、安眠妨害じゃないか! 今日という今日は堪忍袋の緒が切れた。いまから手前の車をたたき壊してやるから覚悟しろ!」
いまとなっては、窓を開けて隣家のバート・マンローに文句をいったジョージの気持ちがよく分かる。この点については「シネマらかす #85 世界最速のインディアン―7歳児の心」をご参照頂きたい。
だが、困ったことに、ゴルフディーゼルは私の車である。午前4時半にゴルフディーゼルを始動して釣りに出かけるのは私である。私には怒鳴り込む先がない。残念ながら、自分で自分に怒鳴り込むという器用な真似はやったことがないのだ。
釣行に出るたび、祈るようにしてゴルフディーゼルを始動した。頼む、静かに始動してくれ……。
機械とは悲しいものだ。私の祈りを聞く耳がない。私がどれほど切実に願っても、ゴルフディーゼルは
ガラガラガラガラ
というけたたましい音とともに目覚めた……。
前回書いたように、わたしのこのゴルフディーゼルに8年間乗り続けた。うち2年間は札幌にいたから、この騒音でご近所の方々にご迷惑をかけたのは6年間ということになる。
皆さん、6年もの長い間、本当にごめんなさい。口で言えなかったので、ここで心から謝っておきます。
とここで書いても、誰も読んでくれていないと思うけど……。
いずれにしても、6年もの間、けたたましい騒音を早朝の住宅街に響かせながら釣りに出かけた私の根性も、なかなかのものであるといわねばならない。
そうこうするうちに、私に札幌への転勤辞令が出た。我がゴルフも当然同行した。
次回、我が黄色いゴルフは北海道の大地を走り回る。