09.16
2010年9月16日 慌ただしい
1日だった。
朝、次女から電話が来た。
「いまいい?」
私の職務時間中であった。私が電話に出るなり、私の状況を気にすることもなくいいたいことを話し始める妻と違って、次女は多少の常識を備えている。
いいけど、どうした?
「朝から、お母さんがお腹が痛いっていうのよ。でも動いてはいたんだけど、さっき見たら、寝室のベビーベッドにつかまってうずくまってて顔色も悪いの。ベッドに寝かせて、いまは顔色は少しよくなったけど」
そういえば妻は、義父がなくなったあと、具合が悪い。葬儀のため横浜に行く朝発熱、着くなり医者で点滴を打ち、葬儀のあとも点滴を打ちにいった。かかってくる電話も、身体の不調から来る心細さがありありと伝わるものばかりだ。
ひょっとしたら爺さまは寂しがり屋で、独りであの世に行くのがいやだってか?
妻の前言が実現する? いや、だからもう遅すぎるっていっただろ!
「医者は?」
「連れて行くつもりだけど。でも私もかなり疲れててさ」
それはそうであろう。自分の家族に啓樹、姉の見舞い、手伝うはずの母は病に伏す。疲れない方がおかしい。
「それに、お母さん、啓樹を連れて桐生に戻るっていってるじゃない。大丈夫かなあ。いや、私はそちらの方が助かるんだけど、でも、お母さんの体調を見るとねえ。お父さん、休み取れる?」
休みは取れる。働いているふりをして、実質休む、ってことだってできる。
「とにかく、いまは緊急事態だ。全員で何とか乗り切るしかないだろう。今日の夜、そっちへ行こうか?」
「いや、今日の夜は啓樹のパパもいるし、明日でいいよ」
明日17日、横浜に行く。19日か20日には啓樹も伴って桐生に戻る。桐生では啓樹の暮らしをもり立てねばならない。
啓樹が見たいと行っていた3Dの映画、まだやってるかな?
寝かしつけるときに読む絵本も大量に買わねばなるまい。
そういえば、ブドウ狩りも始まっているはずだ。
もちろん、ぐんまこどもの国で、ボブスレーにも乗らなくちゃ。
計画を練った。あ、そうだ、朝日新聞によると、25日はセグウェイの講習会が桐生であるんだよな。啓樹を連れて行ってみるか。
横浜行きは明日でいいとのことなので、いつも通りにギター教室に行き、東西飯店で餃子2人前、ヤオコーでノリ弁当とポテトサラダ、それに和風煮込みを買って帰宅。ギター教室の日は、夕食を作る時間がない。
シャワーを浴びてビールを抜き、独りだけのディナーを始めたころ、次女から電話があった。
かいつまむと、
明日、啓樹はパパと一緒に四日市に帰り、幼稚園に通い始める。パパは1週間ほど有給休暇を取り、啓樹と2人だけの暮らしをする。次週、再び啓樹を連れて横浜に来て啓樹を預ける。
啓樹のパパとその奥さん、つまり我が長女との長時間の協議で出た結論だという。
そこまでしなくても、と思う。私は、実質休暇を取りながら働いているふりができる立場である。どうして、その恵まれた立場を活用しようと思わないのか? 危機に瀕しては、ファミリーは助け合うものではないか?
ま、しかし、混乱の原因は長女の出産である。第一義的には、長女の家族が引き受けなくてはいけない混乱である。私も含めて、まわりではらはらしている者どもは、サポーターに過ぎない。
そうか、啓樹は明日、四日市に帰るのか。
「だったら、俺、明日横浜に行く必要があるのか?」
「お母さんが桐生に戻りたいんだって」
そうだった。我が妻女は、桐生での静養を望んでいた。私と2人分の食事を作り、掃除、洗濯をすればすむ桐生の暮らしは、彼女にとっては静養らしい。
そういえば、夕方仕事から戻ると、ソファーに横になって映画を見ていることが多いもんな。きっと、私の5倍ぐらい映画を見ているに違いない。
というわけで、やっぱり私は明日、横浜に行く。とんぼ返りをするのか、何日か横浜で過ごすのか。今のところ不明だ。まあ、行き当たりばったりも、人生の妙味ではある。
今日、ギター教室の次の課題曲が決まった。
「おっ、最後まで演奏できるようになりましたね」
私のホテル・カリフォルニアを聴きながら先生が言った。
「いや、頭では覚えたんですが、なかなか指が動かなくて」
「あとは慣れです。次に進みましょう」
と先生が取り出しのは、Eric ClaptonのPretty Girlのタブ譜だった。
Pretty Girl, you are the light of my life,
とクラプトンは歌う。 私はその伴奏をする。
併せて、Wonderful Tonightにも再挑戦することになった。
「1年後にはクラプトン」
を目標にギター教室に通い出して、今月でちょうど1年。再挑戦がスタートする。
といっても、まだホテル・カリフォルニアも人前で演奏できるような代物ではない。中途半端なんだけどなあ……。