2011
02.27

2011年2月27日 携帯電話

らかす日誌

でも、世の中って、素敵なことが起きるところだね。
京都大学の入学試験で、入試問題をネットに流し、回答を求めた受験生がいた。
私はこの子を、高く評価する。

そんな私の思いと世の中の反応は全く相容れないものである。NHKの7時のニュースを見ていても、

「そんなこと考えている時間あったら、実力で入れるように勉強した方がいい」

とか、

「そんなヤツが入ってきたら、むっちゃ、頭来る」

とか、詰まらぬコメントの羅列であった。コメントを取りにいったら、この類のものばかりだったのか、あるいは、私のように快哉を叫ぶコメントはあったが、編集段階でNHKがカットしたのか。
まあ、それはそれでいい。いまの世の中の秩序を守ることが最も大事だと思い込んでいる思考放棄者たちからはこのようなコメントしか出てこないことは目に見えている。

だけど、皆さん。これを犯罪だとすれば、これは防ぎ得ない犯罪ではないのですよ。むしろ、インターネットが社会のインフラになった現代社会で、大学側の時代遅れを批判した方がいい。

では、どうすればなくなるか?
簡単です。受験会場で携帯電話、その他、電波で情報のやりとりをする情報端末を使えなくすればいい。そんな機器は沢山市販されています。思いもよらぬ時に携帯電話が鳴り出さないよう、この種の機器を設置しているコンサート会場も多いはずです。そんなヤツを買ってきて、あるいはレンタルして、試験会場に設置すればすむ。持ち込んだ情報端末で情報のやりとりが出来なくなれば、この種の犯罪は実行できません。

より根本的な解決法は、入試をなくすことです。志願者をすべて受け入れればよろしい。そうすれば、この種の犯罪は実行する意味がなくなりますから、絶滅します。ねえ、手を挙げれば入れてくれるのに、誰がやばい橋を渡りますか。あ、そうか。橋も渡らなくてよくなるんだな。

その代わり、大学ではきちんと成績を上げなければ進級できないようにします。もちろん、進級できない学生が卒業するなんてあり得ません。努力した学生だけが卒業証書をもらい、大卒になる。

現代は、大学生の低学力に悲鳴が上がっています。何かで読んだのですが、理科系の学部に入ってきた学生が、微分・積分はおろか、一次方程式も理解していないという、悪夢のような話がありました。仕方なく、大学は中学からの課程を再履修させ、何とか学生のレベルを引き上げようとしているようですが、もともと学ぶ意欲も能力もないのでしょうから。さて、どこまで効果があるのか。
子供の数が減り、志願者の定員割れが続く大学では、答案用紙に名前さえ書けば合格するともありました。大学進学率50%はそのようにして支えられているのですが、それが大卒者の就職内定率低下の大きな原因であるとは、以前に書きました。

だってねえ、企業だって、どう見たって頭が緩い学生が来て、

「私、大学を卒業します。大卒として雇用してください」

っていわれたら、引くでしょ? 阿呆に賃金を払っていたのでは、倒産しかねないもんね。

入試をなくして、

「来るものは拒まず。ただし、実績を上げたものにしか卒業証書は出さない」

ということにすれば、大学に行こうなんてヤツはがた減りするでしょ。だって、勉強したくない、4年間遊んで大卒の資格を取りたい、ってヤツが、いまはかなりいそうだもん。

かくして、ネットを使ったカンニング入試もなくなるし、一定の力を持った人間しか大卒にならないし、そうなれば大卒者の就職内定率も大幅に向上する。
いいことだらけなのであります。

 

で、話は元に戻る。
そのような目先の対応策とは別に、私は、ネットを使ったカンニングを思いついて実行した、お兄ちゃんかお姉ちゃんかは不明だが、その受験生を絶賛する。
彼、あるいは彼女は、人が生涯を通して行わねばならないことを、入試の場で行っただけである。

いや、インターネットが社会のインフラになったから、その時代に適応した生き方をしているというのではない。もっと根本的なことである。

さて、話は少しずれるが、私は、すべてにおいて己が他より優れていると考えている人間を信用しない。東大、京大、慶応、早稲田など、いわゆるブランド大学を出た連中に多いタイプである。たかが、入試の成績が他より数点高かっただけで、何か特別な能力を持っているかの如く振る舞う。実態は、○○大学を出ているから、こいつより俺(私)の方が優秀であると見せつけなくちゃ、と思い込んでいるだけかも知れないが、それとて、周りから見れば同じことである。
この対極に、ブランド高校を出たのに東大に入れなかったというコンプレックスを抱えて生きる輩がいる。これも困りものだが、いまは関係がない。

だが、人には得意なこともあれば不得意なこともある。自宅のドアに、飼い犬が勝手に出入りできるよう、跳ね上げドアを作った。その犬に子犬が生まれ、しばらくして知人が尋ねていくと、より小さな跳ね上げドアが新しく作ってあった。

「あの小さなドアは、何のために?」

と聞いた知人に、

「ああ、子犬用の出入り口が必要なんでね」

と答えたのは、アインシュタインだったろうか。記憶が不確かだが、世に天才と歌われる人であることは確かである。

人間とは、その程度のものである。人より優れている点もあれば、劣っているところもある。すべての面で他より秀でている人間など存在しない。
だから、最も賢い人とは、己の優れているところ、劣っているところをわきまえ、優れているところは大いに役立てる。逆に劣っているところは、遠慮なく、ほかから助けてもらう、という生き方をする人である。
極端に言えば、自分は何も知らなくていい。必要なときに、誰に聞けば正しい答えを得ることが出来るかさえ知っていればいい。無論、問い合わせた先が常に正しい答えを返してくれるとは限らない。だから、何も知らなくても、返ってきた答えから、

 「これは信用できないな」

 「うん、これなら確かだろう」

と判断する力だけはいる。その力を身につけるにもある種の勉強が必要なのだが、いまは横に置く。
そういう能力を持っている人が、世の中を引っ張って欲しいと思う。

ねえ、受験会場で、携帯電話で入試問題を発信し、自分にない能力を持っている人に正解を求めた受験生は、全くこのタイプだと思いません?
発信されたのは、数学と和文英訳。この受験生は、

「この科目は出来ないや」

と自分で分かっていたのでしょう。だから、その分野で自分より優れている人に答えを求めた。実に正しい判断であります。
それだけではない。返ってきた返事の中からどれを採用するか。これは発信した受験生のリスクです。正しいものを採用すれば合格するだろうけど、その判断を間違えば、せっかくリスクを冒して新たな試みをしたのに、実を結ばないことになる。この受験生の春には桜が咲かないのです。

この受験生が立派に京大に合格したら?
理想的な、実に賢い指導者の卵が大学生になったとは思いませんか?

というわけで、私はこのニュースに多大な関心を持っているのであります。

 

そういえば、

Layla

ほぼ弾けるようになりました。ギターソロの部分も、かなり間違いながらではありますが、弾けます。すっかり楽しくなって、今日は5時間近くもギターと遊んでいました。
ところが。
なかなか、ヴォーカルが付けられないのです。あのギター伴奏の独特のリズムに、ヴォーカルが乗りません。ヴォーカルを頭に置くと、伴奏が乱れます。伴奏をしっかり弾くと、ヴォーカルがついて行けません。

私の理想は、ギターを弾きながら歌うことにあるわけです。まあ、それで女の子を何とかしようなんて、そこまでの野望はそれほどありませんけどね。 ン? 少しはあるってこと?

クラプトンへの道は、まだまだ遠いのです。