2011
06.27

2011年6月27日 電力権益

らかす日誌

ペンは剣より強し(The pen is mightier than the sword)

という。
本当か? という反論はいくつもある。

「だって、俺、口は結構達者だったんだけど、暴力にはからきし弱かったからなあ。不良にボールペンを取られたこともあるし、映画館のトイレでかつあげにあったこともあるし。強そうなヤツが因縁つけて来ると、足が震えちゃうんだよな」

これは私の、思い出したくもない過去である。

ペンは、本当に剣より強いのか?
言論が、権力に蹴散らされた例は枚挙にいとまがない。

「話せば分かる」

と言論の有効性を説こうとした犬養毅首相が、決起した青年将校に

「問答無用}

と射殺された5・15事件を知らぬ人は少なかろう。それでも、ペンは剣より強いのか?

このことわざは恐らく、ペンは剣より強くあって欲しいという願望の表れである。むき出しの力で押さえ込まれるより、理にかなった論理に従いたい。そうした理想が、人々の心を捕らえ離さないのではないか。

私も、銃で脅されて渋々従うより、議論の果てに

「確かに私が間違っていた」

と服従することを好む。ペンは剣より強くあって欲しい。

だが、ひょっとしてペンが剣より強い世界があり得るとして、その世界にはどうやったら到達できるのか? 論理を研ぎ澄まし、幅広い事実に基づいて誰にでも了解できる世界を構築するしかない。

 

朝日新聞は、

「それを担ってきた」

と、周りが認めるかどうかはともかく、自負だけはしている新聞ではなかったのか? なのに、あんた、どうなっちゃったの?

今朝の1面トップの記事を見て唖然とした。首相の座にしがみつき、震災復興に取り組まねばならぬ時に政治の空白を作っていると顰蹙を買っている菅直人は、実は「電力権益」態勢と戦っている、というのである。辞めそうで辞めない菅直人への、菅さん頑張れエールである。

この記事によると、菅直人は初当選して間もなく、三宅島に東電が作った風力発電設備を見に行った。その体験をもとに、1982年、衆院・科学技術委員会で初めて質問に立ち、風力発電の普及を訴えた。
それに対して、当時の科学技術庁長官が

「原子力はいらないという口実に利用する、乗りすぎ、悪のりのないように」

とにべもない答弁をした。自然エネルギーの普及が脱原発論に火をつけることを「電力権益」側が警戒したのだという。

その後東電は、採算性がないという理由で三宅島の風力発電を撤去する。これを菅直人は

「取り込んでつぶすのが彼らのやり方だ。電力会社は失敗例をあえて作って普及の道を閉ざした」

と周りに解説したという。

菅直人が「電力権益」と戦っている根拠として示されているのは、たったこれだけである。あとは、最近の菅直人の行動が書かれているだけだ。

いや、一読したときは、

「なるほど、こういう視点もあり得るか」

と思った。私のように、ひょっとしたら史上最悪の首相、ポストにしがみつく女々しいヤツ、と決めつけるのではなく、確かに外見はそう見えるかも知れないが、実は全く違う歴史が進行中なのだ、と示してくれるのかと期待した。
だけど、これじゃあなあ。

ここに提示されているのは、一種の陰謀史観である。「電力権益」という悪の巣窟があり、彼らが資金力、政治力を駆使して日本のエネルギー政策を動かしてきた。この構造を生き延びさせては世のため人のためにならないと、雄々しく戦っているのが、いまは評判の悪い菅直人なのだ、という主張である。

面白い視点だが、それにしては材料が乏しすぎる。

「電力権益」とは何か? まずもって、それが分からない。どのような人物たちで構成され、どのような利権構造があり、それを駆使してどのような悪が行われているのか。ここには何も書かれていない。
三文小説だって、悪の正体は書く。悪をどれほど魅力的にかけるかどうかが小説家の評価を決める。なのに、この記事に登場する悪には「電力権益」という名前があるだけで、実態は何も説明がない。
そんな悪って、あるか? 書いた記者さん、あんたは三文小説家にだってなれはしない。

しかも、その「電力権益」が、なぜ原子力発電に執着するかとなると、さらに不明だ。電力に権益があるのなら、その作り方はどうだっていいはずだ。原子力だって、火力だって、風力だって地熱だって潮汐だって、電力ができさえすればいいはずである。なのに、どうして彼らは原子力に執着するのか?

風力発電について菅直人が説明したという内容も、極めて科学性に乏しい。いまでさえ、風力発電は始めたものの、採算が全く合わずに途方に暮れている自治体は数多い。落雷での故障、それに伴う高額な修理費、風切り音が周辺住民に与える影響。問題点はいくつもある。
それを、電力会社があえてつぶしたって?
ここに、白を黒と言いくるめようとする菅直人の原点があるように思うのは私だけか?

出来そこないの陰謀小説を読まされてしまった。私にはそんな思いしか残らない記事である。

 

ペンは剣より強くあって欲しい。そのためには論理を研ぎ澄まし、幅広い事実に基づいて誰にでも了解できる世界をペンで構築するしかないのである。出来そこないの三文小説は、トイザらスで売っているライトセーバーのオモチャにだって勝てないのだ。

どうしちゃったの、朝日新聞!

といっている間はまだ救われる。

またなの、朝日新聞!

といわれるようになったら救いはない。

さて、天下の朝日新聞はどちらに進むのか。