09.29
2015年9月29日 カバー
実は今日、桐生厚生病院に行ってきた。甲状腺肥大の精密検査のためである。
という次第は、再検査を受けた日に書いていると思って、その日誌を再読した。
呆れたことに、書いてない。甲状腺が膨れているとも、精密検査をするとは一言も書いていない。愛する読者の方々に無用のご心配をかけまいという配慮であるとはとうてい思えない。だって、私はそんな気遣いをする人間ではないからである。
であれば、単なる書き忘れだ。いよいよ健忘症が顕在化してきたか。
というわけで、今日の日誌は、健忘症のカバーである。
ほぼ1ヶ月前の精密検査、という触れ込みの問診の時の会話の続きだ。←やっぱりそのその日誌を読んでもらった方がいいかも。
「ということは、とりあえず何とかなっているということですね」
「まあ、そう解釈していただいても構いません」
「だけど、それじゃあ、今日わざわざ出てきた甲斐がない。個人的には、甲状腺肥大というのが気になっているんですが」
「ああ、そうですか。だったら、それを精密検査しましょう。今日、中性脂肪を落とす薬を処方します。その結果も見たいので、だったら9月28日に来ていただいて、中性脂肪の薬の効果を調べるのと一緒に、甲状腺の超音波検査もしましょう」
という流れで今日の精密検査となったのである。
予約の時間は午前10時15分。だが、ことは我が身に関わる。9時半過ぎと早めに病院に着き、受付を済ますとすぐに超音波検査室に行くよう指示された。
「はい、ではこちらへ」
カーテンで仕切られた一隅に案内された。見ると、奥の壁にくっついてベッドがあり、その真ん中あたりにバスタオルを巻いて棒状にした物が置いてある。
案内人がアラサーの美女であれば、
「おい、これって誘いか? ベッドの真ん中に棒状のタオル。あのあたりに彼女の腰が来るということは、つまりこういう形で、俺はこうやって……」
と妄想が膨らむところだが、遺憾なことに案内人は初老と呼んでもおかしくない熟女であった。おかげで、妄想の「も」の字も体験できない私であった。
うん、病院とは妄想をたくましくするための場所ではない。
「そのタオルに頭を置いて、そう、足は曲げてもらわないと入りませんね。はい、それで頭を後ろにやってできるだけ首を伸ばして」
膝を曲げ、棒状のタオルに首を乗せる。だが、高さが足りずに首を支えられない。仕方なく棒状のタオルを二つ折りにして首の後ろにあてがい、首の前を延ばす。
「はい、ではこれから超音波で見ますからね」
横になった私の目のすぐそばにモニターがある。見ると、超音波が描き出す映像が映し出されている。私の首にあてられた器具が動かされるたびに、映像が変わる。
「あのー」
「はい、なんでしょう?」
初老と呼んでもおかしくない熟女のお言葉は、実に丁寧である。かつ、つけいる隙を与えない。これも職業意識のなせるワザか。
「その、いま映っている穴は、これ、ひょっとして頸動脈ですか?」
「ああ、これですか? はい、頸動脈です」
超音波が創り出す疑似映像とはいえ、私が己の頸動脈をこの目で見たのはこれが初めてである。見ると、まん丸な穴で、血管壁に何かがこびりついているようには見えない。動脈硬化はまだ起きていないらしい。
数枚の写真を撮られ、私は1ヶ月前に問診を受けた若手のお医者さんに会うべく、内科を目指した。
「大道さん、大道裕宣さん」
待合室で本を読んでいると(ちなみに、本日の本は「『アメリカ覇権』という信仰」=藤原書店。あのエマニュエル・トッドの本だと思い込んで買ったら、彼の登場はほんの一部で、あとは日本人の学者、元官僚、金融エコノミストらの論文集であった)、私を呼ぶ声がした。
「はい」
「血液検査がまだのようですので、これから採血してきてください」
そういえば、今日は中性脂肪を減らす薬の効果も見るんだった。だとすれば血液検査は必要である。だけど、今日の最初の指示には入っていなかったぞ、とは思うが、ここで楯突いても仕方がない。
採血室では、私の前であった子どもが、注射針への恐れのあまり、いまにも泣き出しそうな声で
「まだなの? 終わったの? 終わったんでしょ? えっ、また注射するの?」
と抗議を繰り返していた。そのあとに座った私は、当然のごとく看護師さん、昔でいえば看護婦さんに言った。
「いいねえ、子どもって。注射を見ると泣いてもいいんだもんね。俺、こんな歳になっちゃったから、泣きたくても泣くわけにもいかないし、痛くないようにそっとやってよ」
終えて問診である。
中性脂肪値は、まあ、多少高くてもそれほどの問題ではない。気になるのは甲状腺肥大だ。ひょっとして甲状腺がん? 桐生の地で、俺、あの時大量に被曝した?
群馬大学医学部の重粒子線治療は効果絶大らしいが、知り合いの教授によると、焦点を合わせるのが難しく、動かない臓器のがんを主な対象にしているという。一番得意なのは前立腺がん。胃がんや食道がんなど、いつも動いている臓器のがんは、いまのところ治療できないらしい。
甲状腺って、いつも動いているのかなあ?
費用は、確か320万円前後。1回の照射でがんが消えればそれで終わり。消えなければ、消えるまで照射する、それでも費用は同じ。
でも320万円。高い。そういえば、俺の医療保険、最先端医療でも保険金が出るんだったよな。ということは重粒子線を使えるんだよな?
でも、まあいいか。がんとは闘うなという医者もいるし、ここで甲状腺がんで倒れるのが俺の運命なら、それはそれで受け入れるしかないんじゃないかな。いま俺がいなくなったって困る人はほとんどいないし。
精密検査に臨めば様々なお思いが脳裏を駆け巡る。
もしがんだったら、「らかす」は闘病日誌になっちゃうな。
「はい、大道さん、お久しぶりです」
若い兄ちゃん医師は今日もにこやかだった。
「で、甲状腺なんですけど」
来たぞ!
「肥大はやっぱり見られて、この写真で見ると、このあたりに水疱もありますねえ」
水疱? 甲状腺には水たまりができるのか?!
「でも、腫瘍はないですね。良性のものも」
がんじゃない?!
「だから、いますることは何もないですね」
えっ、精密検査までして、何もない? だったら金返せ! とこんな時思ってしまうのはなぜだろう?
だけどねえ、人間ドック、それから間もなく貴男に会って甲状腺が肥大しているといわれたあと、そういえば喉のあたりが不快で、何だか食道や気管が押しつぶされているような気がして、それだけじゃなくて、いつも喉がいがらっぽいというか、風邪で喉がやられたような感じがずーっとしているんだけど、何でもない? これ、気のせい?
「まあ、気のせいかも知れませんねえ。何ともないんですから」
というわけで、薬を飲んで効果が出た(中性脂肪値が3分の2に、悪玉コレステロール値は正常範囲内に入った)体内脂肪対策は続けることになった。
「これからは町医者で結構です。紹介状を書きますから、それを持って医者にいって受診してください」
以上で4700円。
高かったような、でも、安かったような、不思議な気分を残す精密検査であった。
ところで、オリンピックにサーフィン? スポーツクライミング? スケボー?
オリンピック競技の基本は、走る、投げる、跳ぶ、である。何だか、ずいぶん遠くまで来てしまったなあ。