2015
10.07

2015年10月7日 快挙

らかす日誌

いま私が東京にいて、どこかの新聞社かテレビ局で社会部、あるいは科学部の記者であったら、誰にも増してインタビューしたいお人がいる。

連坊さん

である。
そして、こう聞く。

「あなたはかつて第1級の科学者に対して、どうして1番でなければならないのか、と突っ込まれた。2番ではなぜいけないのかと鬼の首を取ったかのように叫ばれた。昨年に次いで今年も、日本人科学者のノーベル賞受賞が続いている。ラッシュといってもいい。ノーベル賞は世界のナンバー1が得る栄誉である。この日本人受賞ラッシュをどうご覧になっているか、ご見解をうかがいたい」

さて、どうして2番ではいけないのか、と言いつのった彼女が属する民主党はいま、トップに遥かに水をあけられたナンバー2の政党である。
彼女の答え、聞きたくありませんか?
私がそのような記者であったら、言を左右にして逃げる連坊を、何処までも逃がさず、トコトン追究しちゃうと思うが、そんな記者、いまはいないのかな?

いやあ、めでたい。受賞されたお二人と祝杯を挙げる栄誉によくするわけでもないし、ましてや賞金の一部が私に流れてくるわけでもない。だから、受賞者とは縁もゆかりもない私が浮かれて騒ぐことはないし、つまり、どう考えても、やっぱり私とは縁もゆかりもない話なのだが、それでも日本人が相次いで世界のナンバー1であると認められるのは、日本人として心地よいことである。日本人に生まれてよかったなあ、と思うのである。

振り返れば、日本人は西洋人からさんざんバカにされてきた。

トランジスタラジオのセールスマン

1962年、遠路はるばる尋ねてきた池田勇人首相をそう揶揄したのは、フランスのド・ゴール大統領であった。トランジスタラジオは、多分、当時の日本にとっては、ほとんど唯一の国際商品であった。訪欧の旅に出た池田は日本経済の拡大のため、行く先々で日本製トランジスタラジオの優秀さを披瀝したのであろう。
それを蔑んだド・ゴール。敗戦国日本、黄色い猿の国日本に向ける軽蔑の目。

他人の褌でドイツを打ち負かしてもらっただけのフランスの大統領に、日本を蔑む正当性があったかどうかは問うまい。だが、日本の浮世絵がフランスに伝わらなければ、彼らが誇るフランス料理の色彩には出来上がらなかった事実を知らぬ大統領は、無知と罵倒されても仕方なかろう。

あらゆる民族にとって、「いま」はたまたまである。50年先、100年先に、民族間の力関係がどう変わるかは神のみぞ知ることだ。
「いま」を誇って、過去にも未来にも目を向けず、誇る勢いで他国を見下す愚は、この地球に同棲する我々が避けねばならぬ事である。

その、トランジスタラジオしかなかった国が、やがてほぼあらゆる工業製品について世界の最高峰を創り出す国になった。車もカメラもオートバイも、扇風機もエアコンも洗濯機もテレビも、日本製が世界最高の性能を持つことが常識になった。
そのころ、欧米では

「日本はずるい」

といわれるようになる。
確かに、日本製の工業製品が世界一の性能と信頼性を誇るのは認めよう。だが日本人は、我々が長年、多額の研究費を費やしながら見いだしてきた科学の基本的な発見、工業における基礎技術を応用しているだけである。日本の製品にはオリジナリティはない。あるのは、基礎技術を器用にブラッシュアップして製品に仕上げる応用技術だけだ。つまり、日本人は他国が開発した技術を消費するだけの国であり、記述の世界で世界には何も貢献していないずるい国である。

日本が経済的に最も成功した1980年代によく聞いた。
聞きながら、日本人として反発を覚えながらも、頭の片隅では

「いわれる通りかも知れない」

という諦めもあった。

だが、である。
昨年、今年と続く科学分野でのノーベル賞受賞ラッシュは、

「どうだ、日本だって科学の新しい地平を切り開き、進歩に貢献してるじゃないか」

という誇りを、日本人にもたらしてくれた。
ねえ、ニュートリノに質量があったって、日々の暮らしには何の影響もないでしょ? そんなところにも日本は金と人材を注ぎ込んでいるのだ。日本はずるいなどとは二度といわせないぞ!

そして、今年の受賞者のニュースを聞きながら、楽しいことに気がついた。
一流と呼ばれる大学の卒業者がいない。

物理学賞の梶田隆章さんは埼玉大学卒、生理学・医学賞の大村智さんは山梨大学。そういえばiPS細胞の山中伸弥さんは神戸大学だった。東大でも京大でも、慶応でも早稲田でもない。これは愉快だ。

一般論としていえば、日本では最も頭脳が優秀な高校生は東大に進む。次に位置するのが京都大学で、といった具合に大学の序列が決まっている。
それなのに、最近のノーベル賞受賞者は、序列でいえば上から数十番目にあるに違いない大学の卒業生ばかりである。
私が東大、京大に進めなかった恨みもこめて言えば、

「優秀さって、何だろう?」

このところ、息子3人を東大医学部に進学させた母親が週刊誌で引っ張りだこだ。新聞に載る広告の見出しによると、東大医学部に合格するには恋愛など邪魔なのだそうである。

さて、この3兄弟からノーベル賞受賞者が出るだろうか? 3人は人類の役にたつ仕事をするだろうか?

ウイスキーをなめながらそんな思いにひたり、1人ニンマリする今日の私であった。
うん、決してコンプレックスの裏返しではない、と自分では信じている。