2016
07.14

2016年7月14日 またかよ!

らかす日誌

腰痛である。またかよ! である。

発症は昨朝のことだ。腰の左側からお尻にかけて痛い。座っていればそれほどでもないが、発つと猛烈に痛む。従って、歩くのが難しい。
難しくても、歩かねば生きていけないから歩き方を工夫する。横から見て「く」の字型になっている腰(これは誰でもそうである)を直線に近くなるよう突き出す。こうすれば痛みが治まる。治まったのを見極めで歩く。数歩で再び痛みが甦る。どうしようもなくなるとしゃがむ。痛みが治まるのを待って立ち上がり、再び左側の腰を前に突き出し、腰が直線に近くなるようにする。
歩きにくいったらありゃしない。

原因を探るに、これは1つしかない。12日の労働である。
その日の仕事は、ほぼ野外に近いところで行った。屋内から写真を撮る必要があったのだが、1m弱先にフェンスがあった。座った場所でシャッターを切ると、望遠レンズで引っ張ってもフェンスがうっすらと写り込んでしまう。絞りを出来るだけ開けたりして工夫したが改善しない。
そこで仕方なく、窓から身体を乗りだし、レンズを出来るだけフェンスに近づけてシャッターを切った。これだとうまく行く。そこで窓から乗り出す姿勢を続けた。一瞬のシャッターチャンスを捉えなければならないので、その瞬間を捉えようとこの姿勢を維持する。1度や2度なら何のことはなかったろうが、ほぼ1日、断続的にそんな姿勢をとり続けた。

当日、夜は20人以上での飲み会であった。やや遅れて会場に着き、快調に杯を重ねた。談論が風発した。午後10時にお開きになり、翌日(=昨日)も早朝から仕事があったので帰宅してすぐに寝た。

こうして昨朝を迎えた。
朝目覚めると、布団の中で仰向けになり、両足を胸に引き寄せる。その姿勢で10までカウントし、今度は足をクロスさせて身体の横の筋肉を伸ばす。日常に取り入れた腰痛体操である。

いつものように腰痛体操を終えて布団を出た。トイレを済ませ、食卓に行って血圧を測る。平常値である。だから、この瞬間まで私は、私の身体に起きた変化を認知していなかった。

「あれっ?」

と思ったのがどの瞬間であったのか、たかが昨朝のことなのにはっきりしない。私が順調に惚けへの道を歩いているためか、それとも人間の認知能力とはその程度のものなのか。
いずれにせよ、自宅を出る時には変調がはっきりしていた。

「そんな重い荷物、持たない方がいいんじゃないの?」

と妻女殿が気を使われたからだ。もっとも、だからといって、仕事に必要な「重い」荷物を持つのは、やはり私ではあったのだが。

という次第で、昨日は実に何ともいえない仕事のこなし方をした。
仕事はおおむね座って行う。だから、その間は何ともないのだが、時に移動しなければならない。これが大仕事なのである。
椅子から立つ。腰の具合を確かめる。痛みが襲ってきそうだと感じたら、腰を、それも左の腰を前に出す。すると痛みが引く。いまだ、と歩き出す。数歩歩くと痛みが沸き上がってくる。これはいかん、とさらに腰を前に出す。それでもダメなら前屈みになる。なおも痛みが引かなければしゃがみ込む。痛みが治まれば立ち上がり、というコンビネーションを繰り返して目的地に到達するのである。
目的地? そう、歩いて30歩ほど先でしかなかったのだが。

最も困ったのは喫煙である。昨日いたところは、屋内は禁煙である。従って、煙を吸い込む欲求が高まると外に出なければならぬ。外? そう、歩いて5、60歩だろうか。
30歩であれほどの努力を要するのだ。歩かねばならない距離はおおむねその2倍。腰を突き出し、前屈みになり、しゃがみ込み……。目的地に到達すると煙草を取り出して火をつける。同好の士が多数いらっしゃる中で煙を吐き出す。

「いかん、腰が……」

かくして私はしゃがみ込む。そう、しゃがみ込んだまま煙草をくゆらすのだ。

「そんな思いまでして煙草を吸わなくても」

とおっしゃるあなたは、喫煙者の生理を、心理をご存じない。我々喫煙者はいまや、国賊、非国民と罵られる存在である。それを誇りとする我々は、これしきの痛みに負けていては、国賊にも非国民にもなれないのであるぞ!

ということで昨日は午後4時半頃自宅に戻った。すぐに風呂に入り、2、30分腰を温めた。出て、汗が治まるのを待って腰に湿布を貼った。夜は映画を2本見て寝た。

寝る。簡単なことである。布団の上に横になり、電気を消して目を瞑れば、いつしか夢の世界に入っていける。夢の世界に入れば、久しぶりにあの娘に会えるかも知れぬ。媚びをふくんだ目線で私を誘い、それこそ夢の世界に誘ってくれるかも知れない。至福の時である。

なのに、昨夜の私は。

「さて、どんな姿勢を取ったら痛みから逃れられるのだろう?」

右を下にしてみる。反転して左を下にする。それでもダメなら仰向けになる。いや、これでもダメだ。右45度? それとも左45度? いや、腹ばいがいいか。
眠りに入るために姿勢を探し求めねばならなかったのである。

そして今日。
多少は良くなった? わからぬ。
相変わらず歩行は困難だし、困難に負けて歩かなければ何も出来ないし、やむなく車の運転はしたし、階段は上ったし、ソファにひっくり返って読書はしたし、それでも油断をすると痛みがジワジワと這い上ってくるし。
というわけで、昨日のように風呂でゆっくり腰を温め、汗が引くのを待って湿布を貼り、一番楽な姿勢である椅子に座ったまま、この日誌を書いているのである。

ああ、明日は少しは楽になるのだろうか? 明後日は?

にしても、である。
あの程度の仕事は、若い頃は当たり前だった。もっとトリッキーな姿勢を続けざるをなかったこともあるが、それでも身体は何ともなかった。

「はあ、歳であるなあ」

そう感じざるを得ないのである。

と思って世間を眺めると、この私より遥かに年かさの方々が、

「私を都知事に」

と声を枯らしておられる。
何を持って

「私なら東京都を統べることが出来る」

とお考えになったか知らぬが、お元気なことである。
私とは縁もゆかりもない方々、まったく関係ない自治体の首長選挙だからたいした関心もなく、話を漏れ聞くばかりだが、

透明な行政

だとか

がん検診の受診率を上げる

とか、まあ、いろいろ異な事おっしゃっているようだが、たかが権力者へのすり寄りで名をなした方やジャーナリストから電波芸者への見事な変身を遂げられた方、それに元官僚氏の競い合いに過ぎぬと見切れば、漫画チックにも見えてくる。
私が都民だったら、この中から選べといわれても困惑するばかりなのだが、だれが都知事の椅子を引き寄せるのか。

あ、都知事選の最大の課題は

「金のスキャンダルからフリーの人を選ぶ」

だったよね。だとすれば……、うーん、女性候補は週刊誌で金の疑惑を書かれていたし、元ジャーナリストはタレントとして広告宣伝に登場されることを喜ばれておられるようだし、元官僚氏は全国民を脅しつけて本をお売りになったし、やっぱり誰を選んでいいかわからないわ。

そんなつまらないことより、いまの私は、腰、腰、腰、である。