12.12
2017年12月12日 今回も受信料
最高裁によるNHKの受信料問題への判断に関心を持ったのは、私だけではなかったらしい。
今日の朝日新聞に、投書が掲載された。
「受信料義務なら国会全中継を」
という、愛知県の66歳の男性からのものである。
頷けるところが結構あった。
「何故内閣が、NHK会長の任免権を持つ経営委員の人事案を作れるのか」
というのは、私が見落としていた視点である。
原理的に政府にコントロールされるメディアを、国民が全員で金を出して支える必要はない。
だが、
「そうかな?」
という視点もあった。
見出しになった
「国会の全中継を」
である。
私は、そのようなことは枝葉末節の問題だと思う。だって、そんなことをしたって、何人の人が見るのか? 私は絶対に見ないと断言できるぞ!
と毒づきながら、NHK問題の難しさは、実はそのあたりにあるんだよなあ、と私は考えている。
いまの社会は一枚岩ではない。十人十色、というのが当たり前の社会で、
国民のメディア
公共放送
というのは、言葉は美しく、でもどこにも存在しえないものである。
全員が認める、というか、目くじらを立てないものは、あってもなくてもどうでもいいものである。
一人が
「意味がある」
と考えるものは、先の国会中継と同じで、
「そんなもん、意味なんてない」
というたくさんの反論を呼び起こす。それがいまの市民社会の現実であり、だから社会はある意味健全なのである。
総意なんてどこにもないのだ。
だから、事業として行うメディアは、新聞も雑誌も、全ての国民の支持なんて当てにしない。あらゆる商品が、全ての人にお買い上げいただくわけにはいかないと割り切っているのと同じことである。
うちの論調を好んでいただくかたもあれば、毛嫌いされる方もいらっしゃる。そのバランスの中で、どうやって事業を継続していくか、というのが、メディアの経営者の考えるべきことである。
朝日新聞がいかに質を誇ろうと、読売新聞がいかに数を自慢しようと、全ての人が朝日新聞を読むことはないし、全ての人が読売新聞の読者になることもない。
世の中とは、そのようなものとして出来上がっている。
だがNHKは、全ての人に視聴者になれ、新聞で言えば読者になれという。それが最高裁の判断である。
なぜなら、
「NHKは国民のメディアであるからだ」
まあ、国民のメディアを自称するのはいい。だが自称する前に、国民のメディアという概念が成立するかどうかをお考えになったらいかがだろう、というのが私の主張である。
だって、何をやったって、国民全員から認められることなんて原理的にあり得ないからである。朝日新聞の投書子が主張するような、
加計学園問題の国会中継
をやったとことろで、ほとんどの人は見ない.
一部の人の関心事でしかない番組に金と時間と人をつぎ込むのが、全国民が金を払って支えなければならない国民のメディアなのか?
「加計学園問題に関心を持たないのは非国民である」
なんていいっこなしだ。
そう主張するのは、己の考えを絶対視する暴君でしかない。
詰まるところ、国民は、市民は一枚岩ではない。であれば、全員からお金が取れる商品もメディアも存在するはずがない。その、存在するはずがないものに、存在する権利を与えてしまったのが、先の最高裁判断である。
判事さんたち、現実にどこまで思いをいたされたのか?
私が考える国民のメディア像は一つだけである。NHKがやるべきことは、民放がやらないこと、できないことを引き受けることである。
民間でできることは民間に任せればよろしい。民間ではできないこと、でも社会には必要なことを引き受けるのが公共の役割である。NHKが公共放送だというのなら、そのような原理原則を踏まえて、自分のいるべき場所を見いだしたらどうか。
加計学園問題の国会中継をすべきであるという主張が成り立つとすれば、その視点からだけであると私は思う。
となると、少なくともバラエティ番組は、NHKには不要である。民放に任せればよい。
歌謡番組も、好む人が少なくなって民放ではやりにくい演歌はやってもよい。だが、AKBとか乃木坂とかスマップ(解散したんだっけ?)とか、民放がやりたくて仕方がないものは民放に任せる。
そうそう、オリンピックもワールドカップも民放に任せよう。プロ野球は落ち目で、民放は見放したようだから、やってよし。大相撲はNHKしか出来なよね。
紅白歌合戦なんて、いの一番に廃止すべき番組だ。あれのどこが、公共放送なんだろう?
つまり、民業を圧迫しない範囲内で、これは世の中に必要である、と思われる放送をするのが公共放送の役割ではないのか?
私の基準に照らすと、いまのNHKは思い違いが甚だしく、国民全員が支えなければならない公共性を備えていない、訳の分からないメディアなのだ。
という私の考え方が少数派だから、あんな最高裁判断が出てしまうのか。
NHKなんぞのありかたに関心なんて持たない健全な方々が多数だから、あの最高裁判断が出てしまったのか。
前回の日誌がやや書き足らなかったので、同じ話を蒸し返してしまった。