2019
12.17

とうとう記述式を止めるそうだが、本当にそれでいいのか?

らかす日誌

来年度から大学入学共通テストが始まる。それを前に、英語で民間試験を導入することの是非や、国語と数学で記述式の答を求めるのがいいかどうかが問題になった。この教育問題が政治問題にまでなり、とうとう民間英語は取りやめ、記述式も取りやめ、になった。
ということは、来年度からの共通テストは、これまでのセンター試験と何が違うのだろう? 素人目には、大山鳴動してネズミが一匹も出てこなかったように見える。政治家があれほど騒ぎ廻った結果がこれで、なんだか壮大な税金の無駄遣いとも言える。

今回の議論には、そもそものはじめから違和感がつきまとった。その一部は11月6日にも書いた。それでも、まだいくつか残っている。

共通テスト問題点として盛んに取り上げられたのが、

民間任せ

である。英語に民間試験を取り入れる。記述式問題の採点を民間に任せる。それで公平な結果が期待できるか? というのである。
だったら問いたい。公務員が採点したら、その結果に納得できるの? 公務員って、そんなに清く、正しく、正確な判断力を持っている人たちだっけ?

記述式の問題は、そもそもは、それまでの○×式の問題では、受験生の本当の学力を測ることはできない、という問題意識から生まれた改革案だったはずだ。○×式マークシート方式なら機械で採点できる。しかし、コンピューターの性能が追いついていない以上、人が書いた文章や数式は人手をかけねば採点はできない。では、誰が採点する?

大学の先生が協力する? しない。

国家公務員がやる? やらない。そもそも、彼らに指点する力があるかどうかは未知数である。

地方公務員? ノー。

であれば、記述式を導入した方がいいのなら、採点は民間に任せるしかないではないか。それなのに、どうして民間の採点が信用できない?

不思議である。だって、大学入試の直前までは、ほとんどの受験生、受験生の関係者が、公より民間を信頼しているのだ。学校の授業では入試に対応できない。だから、高い金を払ってでも塾、予備校に通うのである。それは民間への信頼の表れではないか?
学校が実施するテストでは自分の学力が正確には測れないと思うから、全国規模の塾、予備校が実施する模擬テストを受けるのである。そして、塾、予備校が計算する偏差値に一喜一憂する。その採点は、実は民間人である塾の教師がやるのである。いや、そういえば私の大学時代、ある予備校の採点をアルバイトでやっていた。世の中とは、その程度のところで出来上がっているのではないか?

東大への最短の道は麻布でも開成でもなく、鉄緑会だと聞いたことがある。何でも、開成に合格したらその足で鉄緑会への入塾手続きをする。鉄緑会ほどの評価を受けると、開成に入っても、鉄緑会に入れるかどうかは分からない、というほど狭き門らしいが、まあ、それはこの際どうでも良い。
私が言いたいのは、こうだ。大学入試までは、民間を頼っているのが今の日本の受験生、その親族ではないか。東大に一番学生を送り込む開成は私立の学校である。開成の入試は開成の教師たちが手分けして作成、採点するのだろうが、彼らは民間人である。鉄緑会だって、民間人の集まりだ。
それなのに、どうして共通テストの採点を民間に任せてはいけないのか?

こんな論調もあった。記述式の答の採点では、採点官によって+−10点程度の開きが出る恐れがある、と。
なるほどそうかも知れない。だが、それは民間人が採点しようと、公の立場にある人が採点しようと同じはずである。であれば、マークシート方式を超える試験方法は編み出せるのか? できなければ、マークシート方式だけで受験生の力を測っていいのか?

それにしても、情けないのは大学である。
すべての大学の運営者に聞いてみたい。

あなたたちは、自分の大学に迎え入れる新入生を、どうして自分たちの手で選抜しないのか?

なにゆえに、国が実施する共通テストに、一部でも頼ろうとするのか?

それで、本当にそれぞれの大学に相応しい新入生を迎え入れることができると考えているのか?

それとも、すべての大学は入学時の学力だけで人の価値を計ることができると思っているのか?

どうして、自分たちの手で、力で、眼力で、自分たちの大学に相応しい新優勢を選抜しようとしないのか?

お答えいただければ幸いである。

ここで提案がある。
共通テストを、大学入学資格試験に衣替えする。ここで測るのは、大学での教育に耐えることができる基礎学力を備えているかどうかである。この資格試験に合格すれば大学は自由に選べる。いや、大学には民間企業である私立大学があるから、国公立大学ならどこにでも入ることができることにしよう。東大、京大に人気が集中するかも知れないから、あとはくじ引きにする。こうすれば、論理的にはすべての国公立大学が、同じ資質の学生を迎え入れることになる。あとは、それぞれの大学の「教育力」の勝負である。この試練に打ち勝ってノーベル賞受賞者や各界のリーダーを輩出する大学が、次の時代にリーダーシップを取る大学になる。
そう、国の予算は、今のように東大を偏重するのではなく、学生数に応じて割り振ることにすれば立派な制度になると思うがどうだろう?

それに、資格試験にすることで、採点者は各大学の先生たちを動員できる。選択問題はマークシート式にすれば機械で採点できる。受験生の実力を知る上で必須といわれる記述式の問題だけ専門家である教授たちに採点して貰えば良い。各大学の入学試験はなくなるわけだから、その程度の協力はしていただけるはずだ。
もっとも、それでもどの採点官に当たるかによって+−10点程度の開きは出るかも知れないとは思うが、まあ、それは我慢するしかなかろう。

今の大学では、微積分はおろか、簡単な方程式を解けない学生がいると言われる。文章力も総じて低く、驚いたことには、医学部に入りながら、高校では生物をあまり勉強せず、入試の理科で生物を選択しない学生がいるという。すべての科目について基礎学力をきちんと備えているかどうかが資格試験の目的だから、こんなおかしな現実も変えることができるはずだ。

いいことばかりに思えるが、まあ、こんな湿気たホームページでの提案なんか誰も見向きもしないだろなあ、とわきまえつつ、主観的にはとても魅力的な話だと思っている私であった。