2020
08.25

このところ、天気予報が外れがちである。

らかす日誌

ひと昔前に比べると、天気予報が随分正確になったとは、一度書いた記憶がある。あてにならないことの右代表が天気予報であった時代は克服され、予報をもとに日々の行動計画を立てることができる。なんでも、気象衛星から刻々と入ってくる気象データをスーパーコンピューターに入力して予報するようになった成果だと何かで読んだ。スパコンでデータを処理しなければ実用には間に合わないほどの膨大なシミュレーション・モデルを使っているのだろう。あるいは、膨大なデータを処理する必要があるためか。いずれにしても、技術の進歩には目を見張るものがある。

ところが、である。このところ、天気予報が外れまくっている。
1週間ほど前、NHKのデータ放送で見た向こう1週間の予報によると、先週末から最高気温がグンと下がるはずだった。今週は最高気温が30℃を割り込み、秋の訪れを感じることができるはずだった。

「そうか、今年は 残暑がないばかりか、夏のうちから秋風が吹くのか」

と、暑さの嫌いな私は大いに喜んだ。

それなのに。
暑い。土曜日、歯の修理をするために横浜へ行った。相模原で開業する次女の旦那に治療してもらうためである。身内だからいうのではないが、この旦那、なかなか腕がいい。ちょっとした治療なら桐生の歯科医でも構わないが、少し手が込んでくると、彼に頼った方が安心できる。歯に関しては、私の主治医である。

その横浜。暑かった。横浜の次女宅、というか私の自宅、に着いたのは午前11時頃。

「桐生に比べれば、横浜の方が涼しいでしょ」

と次女はいっていたのだが、なんのなんの。桐生と同等、あるいは桐生以上に暑かった。部屋にいても汗が流れ、タオルが手放せない私であった。

そして、日曜日、月曜日、火曜日と、気温は一向に下がらない。それどころか、NHKの週間予報を見ると、1週間先まで最高気温が35℃近い。

「あの時見た、秋の訪れを思わせる週間予報はなんだったんだ?」

とNHKに文句の1つもいってみたくなる心境である。
もっとも、さすがのNHKとはいえ、天気予報は自家製ではない。気象庁のデータを使っているのか、それともウェザー・ニュース社から買っているかどちらかだろうから、本当のクレーム先はそちらの方なのだが。

もっとも、まだ8月である。だから30℃以上の最高気温が続くのは不思議ではない。だから、これは我慢のうちだろう。

これはとんでもないな、と思ったのは日曜日(23日)の天気予報だった。
この日、歯の治療を終えた私は、川崎の長男宅を目指した。3歳になって言葉もしっかりしてきたあかりの顔を見ようというのである。

「何か持っていこうか?」

という私の事前の打診に、あかりのママは

「じゃあ、葉物のお野菜と、そうそう、あかりが花火をしたがってるんですが、こっちじゃもう売ってないんですよ。桐生で売ってませんか?」

と答えた。ために、桐生を出た私の車には大きな保冷バッグに詰め込んだ野菜と、花火が積み込まれていたのである。日曜の夜、近くの公園でファミリー花火大会を開こうというのだ。
ところが、朝方見た、これもNHKの天気予報では横浜、川崎は午後から雨。夜もずっと雨で

「ありゃまあ。これは花火大会は無理か」

と諦めながらハンドルを操っていた。

久々に会ったあかりは、随分しっかりしてきた。何事も自分の口で説明しようという性行は相変わらずで、加えて一人っ子のためか、お姫様気質がすっかりしみ込んでいた。さすがのボスも、お姫様の前では1家臣に過ぎない。命令通りに動かなければすぐにお叱りが来るのである。

花火と一緒に盛ってきた風船であかりと遊んでいると、あかりのパパとママは台所で何か作業を始めた。

「ん? 今日は自宅で飯を食うのか?」

と尋ねると

「いや、近くの寿司屋に行こうと思って予約してたんだけど、天気予報が雨だったんで、『子どもが急に熱を出して』といってキャンセルしちゃったんだよ。キャンセルしたら予報が変わって雨なし、だろ。でも、いまさらキャンセルのキャンセルはできないしね。急遽食材を買いに行って作ってるわけさ」

ほほう、ということは、その寿司屋さんは天気予報の誤りのために3+1の客を失ったわけだ。それでなくても、飲食店はいま、新型コロナウイルスのために客足が遠のいている。その上でこの始末だから、本当の話を知ったら、天気予報を出しているところに文句の1つもいいたくなるに違いない。
この天気予報の狂い。スパコンが新型コロナウイルスに感染したか?

もっとも、予報が狂ったおかげで、花火大会は予定通り開催することができた。あかりはご満悦であった。

今朝の朝日新聞によると、新型コロナウイルスの第2波はすでにピークアウトしたそうである。厚生労働省に助言する専門家組織は、7月末をピークに新規感染者数は緩やかに減少しているとの見方を示した、とあった。1人から何人が感染しているかの実行再生産数は8月に入って1を切っているとあり、このまま行けば感染は徐々に終息するはずである。

情報源は同じ専門家組織であるのに、他のメディアは報じ方が違った。例えばNHKは第2波のピークアウトには触れず、年代別の致死率が第1波のときとほとんど変わっていないとか、男女別のリスク、既往症がある場合の重症化リスクなど、相変わらず「オオカミ少年」報道に徹している。ネットで見る限り、TBSも同じ視点を採っているようである。

同じ情報源からの情報で違ったニュースが生まれる。それは、取材した記者の目の付け所が違うことによって起きることだ。私がまだ経験の浅い記者だったころ

「同じことを聞きながら、まったく違ったニュースを書く。これも君、この仕事の醍醐味の1つだよ」

と教えを受けたことがある。そんな薫陶を受けた私は、今回は朝日新聞を褒めてやりたい。

褒めてやりたいのは、他と違ったニュースに仕立てたからだけではない。
他社の記者は、

新型コロナ — 危険 — 警告を発し続けなければ

という紋切り型の発想を離れることができなかった。彼らは報道陣の責任をまっとうしているつもりだろうが、新型コロナの危険性が周知の事実である現状では、実は大勢に流されていることでもある。そして、新型コロナ=危険という図式を守っていれば、記者は一切のリスクを負わずに済む。大勢の中でオオカミ少年であり続けるのは、最も楽な道を選ぶことでもある。

一方、日日の「コロナ感染者数」がなかなか減らない中で、すでに感染拡大はピークアウトしている、と報じるのは勇気のいることである。ほぼすべての人が

「感染は広がり続けている」

と思い込んでいるとき、

「そうではありません。じつはピークは1ヶ月ほど間に通り過ぎており、いまは減少過程にあります」

と報じるのは、多くの違和感を呼び起こしかねない。ましてや、これから9月にかけて再び感染者数が増えたりすれば、

「世を惑わした大誤報」

と指弾されかねない。
しかし、狼が来た、と村人を脅し続けたオオカミ少年が、本当に狼が来たときに信用を失い、狼が来たと今度こそ事実を口にしたのに誰も信じず被害が出た寓話は、報道する者の座右の銘とすべきことである。
何かと失態続きの朝日新聞だが、この姿勢を貫いて欲しいと思う。

しばらく見ていなかったが、新型コロナの感染者数は世界でで2380万人を超えた。死者は81万7000人。グラフを見ても感染拡大が止まりつつあるとは思えない。
アメリカの死者数は18万1000人。トランプは

「俺の力で、アメリカの死者数は12万人程度で止まる」

といっていたが、すでに1.5倍である。
そんなトランプに、アメリカの有権者はどんな審判を下すのだろう? 大統領選挙が待ち遠しい。