2020
09.10

この頃、駐車場でトカゲをよく見かける。

らかす日誌

ご存知のように、私は毎日2度、日課として屋外の駐車場でパイプタバコを楽しむ。パイプをくゆらせる時間は30分から40分もかかろうか。その間、本や雑誌に目を通すのだが、同時に自然の移り変わりも目の端や身体のあちこちで捕らえることになる。

自然とは年々、違った姿を私たちに見せるものである、と感じるのもこの時間である。今年はやけにトカゲの姿を見かける。2、3週間前からのことだ。

昨年、一昨年の夏もトカゲの姿は目の端で捉えた。子どもの頃は見かければ追いかけて捕まえ、尻尾を切って逃げる姿を楽しんだものだが、この歳になるとそのような児戯には無縁となる。

「ほう、やっぱりここは自然に恵まれているのだな。つまり田舎ということか」

と頭の片隅で思う程度である。

トカゲの生態にについての知識はないが、我が家の駐車場で見かける限り、姿を現すのは晩夏である。今年も例年の如く姿を現し始たころは

「ああ、恒例通りね」

と思っただけだが、やがて何となく違うと感じ始めた。

まず、が多い。去年までは見かけるトカゲは単独行を旨としていたが、今年は2匹、3匹が同時に姿を現す。しかも、私がパイプを楽しむために駐車場に出ると、ほぼ毎回姿を出す。去年までより頻度が高い。なぜだろう?

本来なら、

「なぜだろう?」

は科学の入り口である。だが、そのような才に恵まれない私には理由が分からない。
何らかの原因でトカゲの数が増えたのか?
気候の変化でトカゲの行動性が上がったのか?
トカゲの食料が不足して、やむなく人様の世界にまで頻繁に出てこざるを得なくなったのか?

とあれこれ想像を巡らせるだけである。

そういえば、今夏は虫が少なかった。昨夏までは、夏場にパイプを楽しむのは蚊との闘いだった。必ずどこかを食われる。むき出しになった腕、足が特に攻撃を受けた。1度のパイプ行で4、5箇所も蚊に食われ

「そうまでしてパイプタバコを吸いたいか?」

と自問自答したこともある。
ところが今年は、夏の初めこそ何度か蚊に食われたが、最近はとんと食われない。なぜだろう? ひょっとして私の老化が進み、血が美味しくなくなって見向きもされなくなったか?

蜂やアブの姿もあまり見かけない。これも昨年までは結構いた。幸い刺されたことはないが、ブンブンと羽音をたてながら私の周りを飛び回る蜂やアブは不気味なものである。その不気味さが、今年はない。

やはり地球環境は変化しつつあるのか? それとも、単なる周期的な変化か? そんな問に答を出せるほどの専門知識を持ち合わせない私は、ただただ毎年の変化を感じるばかりである。

毎日自然と向き合い、変わる姿を受け止める時間が持てるのも、パイプタバコのおかげである。あなたも始めてみませんか?
と結論づけるのは牽強付会か?

そういえば、春から取り組んでいた「Focus Gold 数学Ⅰ+A」がこのほど終了した。現在は同じシリーズの「数学Ⅱ+B」を取り寄せ(もちろん、古本!)つつ、「数学Ⅰ+A」巻末のLevel up問題に取り組んでいる。

そもそも、「数学Ⅰ+A」の本文(というのかな? 要は、解説付きの問題が並んでいる部分。614ページまで)にも、私の高校時代は教科書に入っていなかった分野があったり、高校時代にやったはずなのにまるで歯が立たない問題があったりで、

「ウーン」

と頭を抱え込むことが度々であったが、Level upとなると、難度はさらに増しているようで、大変時間がかかる。時には、東大で出た問題が自力で解けたりもするが、その少し先にあった京都大学の問題にはまるで攻め込めず、

「こんな問題が解けねば入れぬ大学なのか」

と数年先には大学受験を控える啓樹や瑛汰に同情したくなることも。

そもそも私が数学の再学習を始めたのは、微分・積分を理解したいと思ってのことだった。ニュートンが産み出した(ライプニッツとの間の先陣競争は熾烈だったそうだ)微分・積分は物理学や天文学を理解するには必須のものである。理系の書籍(もちろん、一般向け! そうでなければはなから歯が立たない)を楽しむことが多い私にとって、いつかは理解したい分野なのだ。もちろん、高校生のときに学んだはずなのだが、計算方法はとうに忘れているし、受験用数学としてしか学ばなかった私には、微分・積分とはどういう世界なのか、なんで産み出されたのか、などの知識が決定的に欠けている。

理系の勉強をした人と話していると、

「それは微分の問題だよね」

みたいな表現が出ることがある。いったいこの人は何が言いたいのか? 知識がない私は絶句するしかない悔しい体験をしてきたのである。
だから、微分・積分を理解したい! と決意した。
しかし、微分・積分は数学Ⅱで出てくる分野である。だとすれば、数学Ⅰもやっておかねば十分な理解には届かないのではないか? 啓樹の高校入学とともに始まった私の数学は、そのような動機を持つものである。

しかしなあ、数学Ⅰでこんなに苦しんで、本当に微分・積分が理解できる数学脳を作れるのか?
50数年前、私は数学が必須科目である国立大学を受験した。とりあえず大学卒の肩書きを持つから、合格したのである。しかし、本当に合格できたの?
数学Ⅰ+Aに取り組みながら、そんな思いにとらわれる私である。