2022
01.06

香港の新春

らかす日誌

香港にも新春は来たのだと思う。しかし、目出度さが「ちう位」である私の新春と違い、香港の人達の新春は全く目出度さがなかったのではないか。
香港で、あるインターネットメディアが年明け早々に閉鎖した。これで、香港で民衆派の立場を伝えるメディアはほぼなくなった、と朝日新聞は報じている。言論の弾圧。習近平政権は暴政の連続である。

古代ローマで最も知られるのはユリウス・カエサルだろう。彼はローマの安全を保つことに全力を注いだ。「ガリア戦記」で知られるように、ガリア(今のフランス、ベルギーに加え、オランダ、ドイツの一部、スイスの大部分、イタリアの北部)という「敵地」に遠征したのは、ガリアに反ローマで立つ動きが合ったからである。決して他国、他民族を侵略しようという意図に出たのではない。
軍事的に勝利を収めたあと、カエサルはガリアを被征服民族としては扱わず、ガリアの民に広くローマ市民権を与え、ローマ市民と同じ権利を保障した。有力者にはローマの元老院の椅子も用意した。力による併合ではなく、融和による平和。「寛容」が、他民族に対してカエサルが採用した政治手法だった。

ガリアを治めたカエサルは軍勢を引き連れたままルビコン川を渡り、ローマの覇者となる。すでに数百年の伝統となっていた元老院政治では、いまや世界の覇者になったローマを率いることはできないと見極めてのクーデターであった。
そのカエサルがルビコンを渡る前から力を入れたのが情報公開だった。ローマを治めていた元老院での議論や決議を文章にし、翌日には市民の目につく場所に貼りだしたのである。それまでは秘密会であった元老院の中身がすべて市民の目にさらされることになった。それは元老院議員に専横を許さず、秘密のベールに守られて勝手放題をしていた議員たちの既得権益をそぎ落とす狙いである。志半ばでブブルータス一派に暗殺されたが、カエサルが描いた国家戦略は、カエサルが跡継ぎに指名した養子、オクタヴィアヌスが実施に移し、ローマは数百年の平和を楽しんだ。

とは、塩野七生さんの「ローマ人の物語」で仕入れた知識である。ローマが「パクス・ロマーナ」を楽しむには、それだけの準備が積み重ねられていた。

それにしても、である。カエサルが殺されてすでに2000年以上の時がたつ。それなのに習近平の中国は……。
ウイグル、チベットなどでの人権弾圧は世界が知るところである。台湾への軍事的威嚇も無視できない。闘いに負けた民族は奴隷にされるか殺されるかが当たり前だった時代、カエサルは闘いが終われば殺さず、奴隷にもせず、言葉も宗教も奪わず、違いを認め合う長年の友のように遇したというのに。

カエサルにしてもオクタヴィアヌスにしても、根っからのいい人だったからそうしたのではないだろう。恐らく考えに考えを重ね、力で得る安定は崩れやすいことに考え至ったからではないか。アメリカは鬼畜米英とまで言いつのった昨日までの敵国だった。それなのに戦後の日本がすっかりアメリカ贔屓なったのは、占領政策に被占領民族である日本人でも頷けるものが多かったからではないか。アメリカが武力を全面に押し出して 戦後の日本を治めようとしていたら歴史は変わったはずである。

習近平さんよ、いつまでジャイアンでいるつもりだ? それとも、ジャイアンでいなければ中国は治めきれないのか? それほど共産党に対する国民の反感が強いということか?

さて、言論が封殺された香港はこれからどうなるのだろう?
香港のネットメディアが閉鎖したニュースを見ながら、ふと思い出した。

「新聞なしの政府と政府なしの新聞、いずれかを選択しろと問われれば、私は少しも躊躇せずに後者を望むだろう」
(Were it left to me to decide whether we should have a government without newspapers, or newspapers without a government, I should not hesitate a moment to prefer the latter.)

アメリカ第3代大統領、トーマス・ジェファーソンの言葉である。自らが政府のトップにありながら、政府のない新聞の方が好ましいとはよくぞいったものである。
しかし、香港で証明されたのは、新聞のない政府は簡単に作ることが出来るということである。そして、政府のない新聞は見果てぬ夢に過ぎないということではないか?

だが、古代ローマを範に取れば、長期にわたる安定は、決して力からは生まれない。力を行使しなければ得られない安定とは、不安定を床の下に押し込めてその場しのぎをしているだけである。押し込められた不安定は、いつかは爆発する。それが歴史の教訓だと思う。

ジャイアンを続ける習近平さんは、やすらかに眠れる夜がないのだろうなあ、民衆が怖くて仕方がないのだろうなあ、と思いつつ、今日の原稿を閉じる。