2023
04.24

昨日、桐生に戻って参りました。都会は健康に良いですね。

らかす日誌

Eric Claptonのコンサートを核にした私の東京・横浜・川崎巡りを終えて、昨夕、桐生に戻った。一言で感想を言えば、

「都会は健康に甚だよろしい!」

となる。理由は後述する。

21日は午後0時半頃桐生を車で出発。3時前後に横浜の我が家に着いた。四日市の啓樹の一行はすでに鶴見に着いており、私は次女の車に送られて四日市勢と合流、そのままJR鶴見駅近くのホテルにチェックインした。

チェックインすれば、ほかにホテルですることはない。3人でJRを利用、とりあえず東京に出た。まだ5時にもならない。しかし、コンサートを前に腹ごしらえは必要で、八重洲の地下街を歩き回り、インドカレーの店に入店。タンドリーチキンとカレー、生ビールを少々胃袋に入れた。
タンドリーチキンを頬張った啓樹は

「美味い!」

と一言。四日市はどんな食生活をしているのか?

終えて、地下鉄東西線の大手町駅まで歩く。この日、東京は暑かった。駅に着いた時は、タオルハンカチがグショグショである。絞れば滴が垂れそうなハンカチをポケットに入れるわけにもいかず、手に持って移動する。2駅目の九段坂下で降りる。
地上に出ると人の波だ。延々と武道館に続く人の渦ができている。これは列の最後尾からついていくしかない。坂道を登る。再び汗が噴き出す。どういうわけか、足が重くなる。ふむ、日頃の運動不足の結果がこんなところで顔を出すか。

席に着いたのは6時30分頃。中央、数えてみれば前から10数列目である。いい席だ。世話をしてくれたT氏に

「やって来ました。いい席です」

とショートメール。

7時を少し過ぎた頃Eric Claptonが舞台に登場。それから役1時間45分のClapton Worldが始まった。

終わって啓樹は

「滅茶、感動した!」

啓樹よ、それではお前の思いは人に伝わらない。何に、どう感動したのかを言葉にすることからコミュニケーションが始まるのだぞ!

私は、といえば、まず感じたのはClaptonの老いである。まず表情が老けた。しばらく前までは2時間たっぷり楽しませてくれたのに、1時間45分。もう体力が持たなくなったか。アンコール曲を自分で歌わなかったのもその現れだろう。
それに、ギターの音色も気になった。ディストーション(音のゆがみ)が深く、聞き慣れたクリスタルのような美しいエレキサウンドではなかったのだ。何でも、ディストーションを深くかけると、演奏力の衰えをカバーできるとか。それが本当なら、そこにもClaptonの年齢が現れていることになる。

それでも、だ。Clapton、すでに78歳。ステージで22時間近く立ち続け、マイクを前に喉を震わせる。毎回、曲の前奏部分を変え、弾き始めてしばらくの間は

「ん? この曲、何?」

と聴衆の関心を引き寄せる工夫を絶やさない。伴奏もソロフレーズも聴く度に新しい。仕事に対する、音楽に対する真摯さには頭が下がる。

武道館を出ると、突然の雨。おまけに別の席で聞いていた啓樹のパパとはぐれてしまった。人波の押されて地下鉄駅まで行ってしまい、そのまま東京駅に向かったらしい。結局、川崎駅で再ドッキングし、

「一緒に飲みたい」

と出て来た我が息子も一緒になって10時頃から川崎駅近くの居酒屋で飲み始めた。日付変更線を越えて長男は電車で帰宅。我ら3人はタクシーでホテルへ。

この間、歩行数1万1066歩。鶴見から武道館に行って戻ってくるまでにこれだけ歩いている。桐生で暮らしていると1日の歩行数が2000歩に達しない日がほとんどである。車で移動し、用件が終われば車で戻る。勢い、歩くことが極めて少ない。
田舎暮らしは健康に悪い。都会で暮らせば自然に足腰が強くならざるを得ない。
ま、それでも良く1満1000歩も歩けたものだと、私は私をほめてやりたい。このところ、下半身が弱っているようなので……。

翌22日、朝8時過ぎにホテルで朝食。終えて鶴見の我が家(いまは瑛汰、璃子立ちの家)へ向かう。啓樹がレコードを見たがったためだ。私が買い集めたレコードは恐らく500〜600枚。久しぶりに引張りだしたが、やっぱりあの大きさのジャケットはいい。CDではジャケットが随分小さくなり、今楽しんでいるネットワークオーディオでは、ジャケット写真はパソコンやスマホに小さく出て来るだけ。音質はずっと良くなったとはいえ、何か大切なものが姿を消したような気がするのも確かである。

「あ、こんな写真だったんだ!」

啓樹に言わせると、CDのジャケ写では小さすぎ、細かな部分が目に入らないとのこと。啓樹、数枚を持ち帰る。将来は、このレコード群を総て自分のものにする魂胆らしい。両親とマンションで同居する伊海女の暮らしでは置き場所がない。啓樹よ、欲しければ早く大学を出て独立し、自分の生活拠点を築け。早くそうして欲しいと願う。

次に向かったのは川崎の長男のマンションである。この日、夜は瑛汰・璃子一家も交えて食事をすることになっていた。それまでは長男宅で過ごす。小学生になったばかりのあかりの遊び相手である。

昼食は息子手製のスパゲッティ。糖質制限を続けている私だが、ま、これは仕方ない。

いま息子はギターを楽しみ始めた。話には聞いていたが、行ってみると、なんとエレキギターが3台。おいおい、1人で3台もギターを弾くってか?

やがて、啓樹とセッションを始めた。いやはや、祖父である私がいうのも何だが、啓樹、ギターが上手い。クラプトンもビートルズもどんどんコピーして我が物にしている。楽譜やタブ譜を見たのではなく、耳で聴いただけで弾けるようになったのだとか。音の進行を総て記憶し、ギターのどの弦のどのフレーズでその音が出るのか、どうやら本能的に分かってしまうらしいのだ。

「いやー、啓樹は上手いわ。おい、どうやったらそんなに弾けるようになるんだ?」

長男は実に羨ましそうに、自在に動く啓樹の指を見つめている。

「親父、もう一台ギターがあるから入りなよ」

とのお誘いを受けたが、丁重にお断りした。もう何年もギターは弾いていないし、仮に弾き続けていたとしても、啓樹と競演できるほどの水準には達していない自覚がある。

夜、川崎で中華料理。久しぶりに瑛汰の顔を見た。啓樹の顔を見ながら縁石に近づき、

「よお!」

と右手を挙げた瑛太は、うん、いい顔をしている。きっと、毎日が楽しくて仕方がないのだろう。中高一貫校の5年生だから、高校2年生に当たる。身長は170㎝にやや足りないが、体は筋肉質だ。クラブ活動はサッカーだから下半身に筋肉がつくのは分かるが、上半身もがっちりしている。
そこで、瑛汰と腕相撲をした。

1回目:右手=瑛汰の圧勝
2回目:左手=何とか私の辛勝
3回目:右手で再戦=瑛汰の圧勝

以上、私の1勝2敗。しかし、間もなく全敗する日が来るのは火を見るより明らかである。
そして3回勝負の後、私は右手首が痛くなった。たった2回使っただけで痛めたらしい。私、来月で74歳。

負けて嬉しい。

心からそう思う。

四日市の2人は8時過ぎ、車で四日市に向かった。私はこの日は瑛汰・璃子宅で宿泊。

23日。瑛汰は学校の行事で朝から出かけた。この春から中高一貫の女子校に通い始めた璃子は身長も伸び、ややスマートになったように見える。もう女の子から少女への変身の時期で、ボスたる私から見ればややまぶしい存在である。
通い始めた学校は楽しいらしい。これから6年間でどんなレディに育つのか。

昼食を済ませ、私は次女の旦那がやっている歯科医へ。右下の歯に架かっているブリッジの一部の接着がはがれ、その修理のためである。結果、6月に集中治療することになった。

終えて、圏央道、関越、北関東自動車道を通って桐生へ。
9万5000㎞、10年もののBMW320dは快調に走ってくれた。

以上で21日〜23日のレポートを終える。