2024
05.26

私と朝日新聞 桐生支局の27 からくり人形師・佐藤貞巳さんの話

らかす日誌

佐藤貞巳さんのことを書こう。

佐藤さんの現職は看板屋さんである。だが、看板屋さんとしての佐藤さんとの付き合いは、私にはない。あるのはもう1つの佐藤さんの顔、「からくり人形師」としての佐藤さんである。

佐藤さんを私に紹介したのは、あのO氏である。どんな機会だったか忘れたが、赴任そうそうだったと記憶にある。
何度かご自宅を訪れた。自作のからくり人形が所狭しと並んでいた。この人、次々に自作のからくり人形を作っているらしい。
だが、である。佐藤さんを記事にするにも、何かの新しい「」が必要なことは、小黒定一さんの場合と同じである。だから、時々お目にかかるものの、佐藤さんを初めて記事にしたのは2014年10月と、ずいぶん時間がたってからだった。

佐藤さん、何と本当に布を織るからくり人形を作ってしまったのである。
これは、まず記事を見てもらうにこしたことはない。

からくり人形
本物の機織り

伝説「白瀧姫」の劇初演 桐生で25日

関係者が「史上初めてではないか」という、本物の布を織るからくり人形が、桐生市で完成した。同市が織都1300年を掲げる今年。桐生に絹織物を伝えたという伝説がある白瀧姫として舞台に登場する。25日、桐生ファッションウィークの幕開けとして同市宮本町2丁目の美和神社で初演を迎える。11月19,20日には隣の桐生西宮神社のえびす講でも上演予定だ。
続日本紀には,上野国(いまの群馬県)が和銅7(714)年にあしぎぬを朝廷に納めたと書かれている。伝説では、山田郡仁田山郷(現在の桐生市川内町)から朝廷に仕えた若者久助が思いを寄せた官女の白瀧姫が妻となって仁田山郷に来て、地元の人々に養蚕、糸繰り、機織りを伝えたことで産業に育ったとされる。
以来1300年。白瀧姫伝説をからくり人形芝居として制作しているのは、桐生市相生町3丁目の佐藤貞巳さん(70)だ。今春、桐生西宮神社に依頼された。
シナリオは、1978年に県文学賞を受けた松崎寛さんの「白瀧姫物語」を基に全体で8分ほどに仕上げた。仁田山郷に来た白瀧姫が機を織る場面が山場だ。そこを盛り上げるには、人形自体が機を織るように作らなければならない——。
制作に取り掛かったのは7月。市内を回り、古い織機の構造を調べた。「私、設計図は描けないけど、頭の中で、こうしたらいいって分かっちゃうんだよね」
あり合わせの端材を使い、縦糸を上糸と下糸に分ける綜絖(そうこう),上糸と遺体との間を走って横糸を通す杼(ひ)、通った横糸をトントンと手前に寄せるための筬(おさ)もそっくり再現した。モーターで動く綜絖が縦糸を上下に分けると、手動で杼が走って横糸を通し、手動の筬が「トントン」と横糸を抑える。その連続で、目は粗いが布が織り上がる。
白瀧姫が機織りをしているように見える仕組みはすぐにできたが、「実際に人形に機を織らせたかった」。それには、横糸を通す杼だけで上下に分かれた縦糸の間を走らなければならない。考え続け、ふと磁石の利用を思いついた。
杼の下に磁石を付ける。上下に分かれた縦糸の下に糸が乗る薄い台を作り、その下に強力な磁石を付けたコントローラーを置き、これをひもで動かせば、台の上にある杼も動く……。本体を作り直すこと3度。杼も6個作った。今月14日の早朝、やっと満足できるものができた。
人形自体が織機で布を織る仕組みについて、からくり人形制作の第一人者、名古屋市の9代目玉屋庄兵衛さん(60)は「機を織るからくりなんて聞いたことがない」と話す。
佐藤さんの本業は看板屋だ。秋田県湯沢市出身で、20歳で桐生に来て時計屋に勤めた。当時の桐生は七夕祭りが盛んで、多くの商店が屋根の上にからくり人形を置いて、祭を盛り上げていた。それが自分の勤め先にはなかったため、幼い頃から工作好きだった佐藤さんは制作を志願した。完成したそのからくり人形が、評判を集めた。
1998年には桐生にあった古いからくり人形のレプリカ作りを頼まれ、約80体作った。当時から親交のあるロボット工学が専門の松島皓三・筑波大学名誉教授(85)は「復元というより改造だった。メカに新しい工夫がたくさんあり、人形の動きがオリジナルよりずっと複雑になっていた」。松島さんも「機織り人形、ぜひ拝見したい」と楽しみにしている。

これ、65歳にして書いた記事である。それにしては、上手くない。からくり人形が機を織る仕組みの説明がまるでなっていない。それに、織物の世界では縦糸、ではなく「経糸」と書くし、横糸も「緯糸」と表記する。桐生の七夕祭りについての説明も、いま思えば間違っている。

「これは、前橋のデスクが下手な筆を入れたからだ!」

と思いたいが、私のせいかもしれない……。

それはそれとして、この記事は思いも寄らなかった反応があった。その年11月の桐生えびす講開催中のことだ。

「大道さん、びっくりしちゃったよ」

白瀧姫物語を演じる合間に、佐藤さんが話しかけてきた。

「何、どうしたの?」

「それがさ、沖縄から布を織る白瀧姫を見に来た、という人がいてさ。やっぱり、朝日新聞の影響力ってすごいものだね」

えっ、沖縄からわざわざ桐生まで?

「羽田から直接桐生に来たっていうんだもん」

ということは、あの記事は全国に配信されたのであったか? それとも、Asahi.comで見たのか。いずれにしても、高い飛行機代を払ってまで見に来た人がいるなんて。世の中にはいろんな人がいるものである。

以来、佐藤さんとはすっかり親しくなった。佐藤さんは時折我が家に遊びに来る。
記事も書いた。

からくり人形 100年経て発見
桐生出身、ロボット博士・松島さん実家
看板屋店主修復 あす群大で公開

前の記事に出て来た松島皓三・筑波大学名誉教授桐生の実家を整理していたら、100程前のからくり人形が出て来た。源頼光の四天王の1人、渡辺綱が京都・戻橋で鬼の腕を切り取る「戻橋」というからくり人形劇に使われたものだった。その修復を佐藤さんに依頼し、佐藤さんは新しい工夫を加えて改良している、という話である。

後に私は、佐藤さんの一代記を書いた。リンクを張っておくので、関心を持たれた方は是非お読みいただきたい。