自動運転の歴史第1回 夢

 桃太郎の時代、おばあさんはたらいと洗濯板を持って川に洗濯に行きました。そのうち、川まで行かなくても、自宅、あるいは町内にある井戸から水をくみ上げれば洗濯できるようになりました。やがて近代化が進み、自宅の水道からふんだんに水が出るようになりました。それでも洗濯にはやっぱりたらいと洗濯板が必要でした。
そんな「労働」を、電気洗濯機が一変しました。いまでは全自動洗濯機が当たり前になり、洗濯槽に衣類と洗剤をいれてスイッチを押せば、自動的に洗濯をし、乾燥までしてくれます。
お風呂も、薪を使い、煙にむせながら「沸かす」手間が要らなくなりました。ご飯を炊くのもスイッチ1つ。屋内の照明も、油、ろうそく、ガスなどは使わなくなり、手元のリモコンのスイッチを押せばLEDが点灯します。

 道具といえば、せいぜい棒っきれぐらいしかない暮らしから、2本足で立って大きな脳を支えることができるようになった人類は、ほかの生き物には真似ができないことができるようになりました。工夫です。発明です。必要は発明の母。暮らしの不便さ、不自由さを何とかなくそうと、知恵を絞り出し続けてきました。

 目的地まで行く、ということも例外ではありません。歩くしかなかった時代から、私たちの先祖は馬やラクダを飼い慣らして移動手段に使うようになりました。さらに便利にならないか。そんな夢を実現したのが自動車です。
自動車の第1号はフランスでできました。1769年、蒸気機関を使って自動車をフランス陸軍の技術大尉が発明したのです。目的は重い大砲を引っ張ること。馬なら戦場でへたってしまうこともありますが、これなら燃料と水さえあればどこまでも走ります。こうしてできた3輪車は、でも前部が重すぎたため曲がりにくく、そのためパリ市内で塀に衝突、「自動車事故第1号」の記録を残しました。

 一度や二度の失敗には懲りないのが人間です。研究・開発が続き、動力源はガソリンや軽油を使った内燃機関が主流となりました。こうしていまの自動車に繋がっているのです。いつでも自由に行きたいところに行ける自動車の利便性はたくさんの人々に受け入れられ、いまではなくてはならない生活の手段になっています。
それでも、

 「もっと便利にならないか」

 と考えるのが人間です。
では、どこが不便なのか。それは

 「人が運転しなければならないことだ」

 と考えた人たちがいました。移動しなければならないのは元気なときだけとは限りません。病気をして、本来なら安静にしていなければならないときでも、ほかに運転してくれる人がいなければハンドルを握らねばなりません。齢を重ね、体力、視力が衰えても車がなければ買い物すらできない人たちもいます。元気なときでも渋滞や事故はいやです。夜間の運転は神経が疲れます。それに、運転中はほかのことができません。運転中は無駄な時間ともいえます。自動車が自動で動いて目的地まで行ってくれれば、いつでも、どんなときでも使える、ずっと便利な移動手段になるはずだ。そう、車で出かけて酒を飲むことだってできるじゃないか!

 1939年から1940年にかけて、ニューヨーク万国博覧会が開かれました。テーマは「明日の世界(World of Tomorrow)」。この会場で、ゼネラルモーターズ(GM)が出展した「フューチャラマ」が大変な人気を集めました。20年後のアメリカを見せる、という立体模型です。
超高層ビルが建ち並ぶ都会と郊外の大規模な住宅地の間を高速道路が結んでいます。そして、その高速道路を走るのは、運転手はいないのに車間距離をきちんと保ち、高速で走る自動車でした。GMはこれを「オートメイテッド・ハイウェイ(自動化高速道路)」と呼びました。無線操縦システムで制御されている、と説明されていましたが、詳しい仕組みについては曖昧にされていました。確かに、この時代にはまだ、自動運転を実現するための技術はありません。だから、説明しようにも、説明のしようがありませんでした。展示できたのは「夢」だけでした。
しかし、この展示は約1000万人が見たそうです。待ち行列が3㎞を越えた日もあったといいます。たくさんの人が、GMが見せてくれた自動車の未来図に、いまよりもはるかに便利な暮らしの夢を感じたからに違いありません。

  人が運転しなくても目的地まで送り届けてくれる車。渋滞にも事故にも悩まされない車。私たちの夢に初めて照明が当たったのです。

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