群馬大学の自動運転
第3回 注意力の限界

群馬大学で自動運転車の開発をリードする小木津武樹助教は、慶応大学環境情報学部の学生の頃から自動運転車の開発に関わっていました。小木津助教が

「一足飛びに完全な自動運転車を開発しなければならない」

と考えるようになったのは、慶応大学の大前学教授たちが行った実験があるからです。大前教授たちの実験は次のようなものでした。

自動運転と遠隔操作の機能を持った車を用意し、実験への協力を引き受けた学生を運転席に乗せます。何かがあればすぐに自動運転を停止し、遠隔操作に切り替えるので安全性に問題はないのですが、学生には

「これは自動運転車です。これから性能実験をしますが、まだ完成していないので誤作動する危険があります。そうなったらあなたに運転を代わってもらわねばなりません。きちんと見張って、いつでも運転が代われるように用意していてください」

と告げて車を発進させ、運転席に座った学生の様子をモニターで監視し続けました。その結果、人間の監視能力、注意能力には限界があることが分かったのです。

数分から数十分の間は、どの学生も自動運転システムをきちんと監視していました。誤作動が起きれば車が暴走し、自分が危険にさらされると思っているので当然のことです。
ところが1時間ほどすると、ほとんどの学生が監視に飽きてしまったのです。顔の表情から緊張感が薄れ、座っている姿勢が崩れます。ある学生は運転席で足を組んでしまいました。これでは、何かが起きた時にすぐに運転姿勢をとるのは無理です。

様々な研究から、人の注意力はいつまでも持続するものではないことが分かっています。小学校低学年では約15分。成長するにつれて伸びますが、大人でも50分程度が限度と言われています。
自分で車を運転しているのなら周囲の状況は時々に変わり、それに応じてアクセルを踏み増したりブレーキを踏んだり、さらにハンドルを回したりと、様々な作業が必要になるため注意力が途切れません。車を操ること自体の楽しさも、運転する人の気持ちを飽きさせません。
しかし、自動運転車でやらなければならないことは、問題が起きるまではただ「監視」するだけです。やがて興味が薄れ、他のことを考えたるようになって注意力が落ちるのが私たち人間なのです。
加えて、走り始めてからずっと、この自動運転車は何の故障もなく走り続けています。人間は本来サボり屋ですので、

「未完成の自動運転車だといわれたが、ずっとまともに走っているじゃないか。であれば、これからもまともに走るはずだ」

という、根拠のない信頼感が生まれます。この2つが重なって気のゆるみを引き起こしてしまうのです。

さて、レベル3、あるいはレベル4の自動運転車が市販されたとしましょう。それを買ったドライバーには、この実験で運転席に座った学生以上に車への信頼感があります。何しろ、大学の実験室が組み上げた、開発途上の自動運転車ではなく、大メーカーが発売した自動運転車なのです。

「大メーカーが危険なものを売るはずはない」

と考える人がほとんどでしょう。ドライバーの注意力は、実験に参加してくれた学生以上に散漫になると考えざるを得ません。よそ見をしたり、居眠りしたり、いまならスマホでゲームや情報収集をしたりするドライバーがたくさん出るはずです。

【注1】
この危惧は、その後の現実社会で完全に的中することとなった。テスラの「Autopilot」や「Full Self-Driving (F3D)」をはじめとするレベル2相当の運転支援システムを過信したドライバーが、走行中にスマホ操作や居眠りをし、トラックや停止中の緊急車両に衝突して死亡する事故が世界中で相次いだ。人間は「見張るだけ」の作業で容易に油断し、システムを過信してしまうという慶応大の実験結果は、痛ましい事故の山によって裏付けられた。

 気分がまったく他のところに向かっている時に、車が警報を発しました。運転を代わらねばなりません。しかし、突然運転を代われといわれて直ちに状況に応じた運転ができる人がどれほどいるのでしょうか。しかも、これまで問題なく自動運転を続けてきた車が、自分では処理できない難題にぶつかって人の助けを求めているのです。難しい状況に違いありません。

【注2】
「手動運転への切り替え(オーバーライド)」の難しさは、法制度や損害賠償の面でも最大のネックとなった。レベル3では「システム作動中の事故はメーカー責任、交代要請に応じず起きた事故はドライバー責任」となるため、自動車メーカー側が過大な事故賠償リスクを恐れてレベル3の市販化に極めて慎重・消極的になった要因でもある。

 小木津助教たちは、車を、ドライバーを、こんな危険な状況に置いてはいけないと考えました。自動運転が世の流れなら、一挙に完全自動運転を実現するしかない、と考えたのです。

【注3】
人間の注意力に依存するレベル3を避け、「完全に人間を運転から除外するレベル5(または特定条件下のレベル4)を目指すべきだ」という小木津氏らの哲学自体は、人間工学的に見れば極めて誠実かつ先見の明があった。グーグルのWaymoがレベル3をスキップしたのも全く同じ理由である。
しかし、彼らが挑んだ「レベル5」という壁は、人間を排除した分、システム側に「あらゆる天候、予期せぬ歩行者の飛び出し、落ちている障害物、複雑な道路工事」などを100%判断する超高度なAIとセンサー技術を要求した。理念の正しさと、それをわずか3人のチームで実現することの技術的難易度との間には、あまりにも絶望的なギャップが存在していたのかもしれない。

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