2011
02.05

2011年2月5日 またまた

らかす日誌

詰まらぬ風説が流布し始めた。
お相撲さんたちが八百長をするのは、十両と幕下の待遇差が大きすぎるからだというのである。

ま、それは本当なのだろう。新聞によると、十両の月給は103万6000円、幕下はなし。場所ごとに15万円の本場所手当が出るだけだそうだ。その上、十両になると付け人が付き、足袋まではかしてくれる。大銀杏が結えるし、化粧まわしを締めての土俵入りも出来る。

天国と地獄、とまでは行かないにしても、応接間と納屋ぐらいの違いはある。応接間でふんぞり返っていたのに、明日から納屋で寝起きせよ、と宣告されるのは辛いに違いない。

だが、それだけが事件の原因であるかの如き報道には違和感がある。

ふんどし担ぎと関取の間には、人とミミズほどの格差があるのは、昔から相撲界のしきたりであった。もし、この格差だけが事件の原因だとすれば、相撲界は昔から八百長に席巻されていたことになる。メディアは、相撲と八百長には切っても切れない関係が昔からあったことをデータで示さねばならない。

もし、相撲が八百長と無縁の時代があったとしたら、なぜいまの相撲取りだけが八百長に走るのかを解明せねばならない。それこそがメディアの役割である。

八百長に関与した相撲取りの何人かが、十両から落ちたくなかったと話したのであろう。だが、その言葉を持って、何十年も続いてきた相撲社会の格差に原因ありと、鬼の首でも取ったように断じていいのか? 同じ状況にに陥ったすべての相撲取りが八百長に関与したのか?

そもそも、エンターテインメントの世界には格差はつきものだ。
この世界に進む人たちは、誰もがスターを夢見る。相撲界に入る人間は横綱を目指す。だが、スター、横綱になることが出来る人間はごく一部でしかない。スター、横綱になれなかった人間は、スター、横綱を育てるための捨て石である。捨て石がおおけば多いほど、頂は高くなる。目が眩むほどのスターを育てるためには、目を覆いたくなるほど多数の犠牲、捨て石がいる。
スター、横綱には金も名誉も人気もつく。捨て石は、その1つも手にすることが出来ないまま去る。厳然たる格差であり、それが鉄則である。

ハンガリーの首都、ブダペストでは国立オペラハウスの隣にあるレストランで、明日の音楽家を夢見る若者たちがウェイター、ウェイトレスとして働いていた。音楽だけでは食っていけないからである。彼らの何人が舞台に立てるのか、オーケストラピットに入れるのか、誰にも分からない。恐らく、大多数が夢破れて音楽の道から外れていくのに違いない。
だが、それでも彼らは夢を見る。必死に腕を磨き、隣のライバルよりほんの少しでも上手くなって取り立てられるチャンスを待つ。こうした若者たちがいるから、その頂点で舞台に立ち、オケピットに入る人たちの演奏に観衆は酔いしれることが出来る。
音楽を志すものが全員オペラハウスに出ることが出来る完全平等社会では、聴衆を魅了する演奏など存在しえない。

ニューヨークのブロードウェイのミュージカルを支えるもの、血を吐くほどの練習を繰り返しながら、とうとう舞台に立つチャンスに恵まれなかった夢敗れた人びとである。

相撲界も同じである。十両になれば付き人が付き、土俵入りが出来る。月給だって100万円以上だ。ああ、俺も早く十両になりたい。小遣いにも不足する暮らしを抜け出したい。
相撲界に入った若者たちは、だから死ぬほど苦しい稽古に耐えるのではないか。相撲部屋に入れば初任給20万円、年功制で、5年たてば50万円にボーナスも出る。そんなサラリーマンのような甘い社会だったら、激しいぶつかり稽古など成立するはずがない。強い相撲取りが育つはずもない。

十両に落ちたくない。だから八百長に走った。その気持ちは分かる。だが、認めてはいけないのである。ましてや、十両と幕下の待遇格差をなくせとほのめかすような主張をしてはいけない。
その格差があるから、相撲界は成り立っているのだ。
格差があるから、必死に上を目指す相撲取りがいるのである。格差が八百長の原因と言い立てるのは、彼らに対する侮辱であり、相撲界を壊すことに他ならない。
ことは単純なのだ。八百長に走った連中は不心得者なのである。それだけのことだ。
間違っても制度の問題にしてはいけない。

しかも、ほとんどの新聞、テレビが、格差に責任を押しつける報道に走っている。
おいおい、同じことしか書かない、いわない新聞、テレビなら、新聞1社、テレビ1社に統合すればよい。言論の多様性を保証するために複数のメディアが共存しなければならないという主張を繰り返す彼らが、実は同じことしか報じない。自分たちの主張を自分たちで裏切っている犯罪性に、彼らはいまだに気がつかないのであろうか?
だとすれば、メディアとは阿呆の集団というしかない。

 

朝起きたら、右目の下が腫れていた。鏡で見ると赤くなっている。

「ものもらいでも出来たかな?」

そういえば、数週間間から右目に違和感がある。目尻がいつも湿っているような感じなのだ。花粉症かな? と考え、目薬を買おうと思いながら今日まで薬局に足を運ばなかった。我慢できないほどではなかったからである。
が、今日は腫れ物だ。

「ついでだから眼科に行くか」

近くの眼科に出向いた。

 「ああ、これはアレルギーですね。アレルギーで抵抗力が落ちているのでものもらいが出来ています」

そこまでは想定内だった。これで、花粉症用の目薬をもらえばいい。
が、次は想定外だった。

「右目に、少しばかり白内障が入り始めてますね。まだ、どうというレベルではないですが」

おっ、白内障! おいおい、右目の視力が失われたら、どうやって3Dを見ろっていうんだ?
あ、まだ3D対応のテレビは買ってないけど。

昨年から今年にかけて、皮膚科(爪の中に水虫)、整形外科(腰痛)、そして今回の眼科と、医者通いが続く。やっと水虫の薬を飲まずともよくなり、腰痛の薬だけになったと思ったら、今度は目薬。
医者と薬がお友達になりつつある。

人間、友人が多いに越したはないが、この歳になるとあまりありがたくない友人も増えてくるなあ……。