2019
05.24

遠い親戚より近い他人、というのはなかなか真実に迫っているのではないか

らかす日誌

先日お伝えした通り、昨日は東京・品川シーサイドで営業活動をしてきた。そして昨日は、私の70回目の誕生日でもあった。

昨日に備えて、横浜の瑛汰、璃子が住む家に着いたのは、一昨日の夕刻である。そして、昨日午前9時前には家を出て仕事人となった。横浜にいたのは約17時間。

車で川崎駅まで次女が送ってくれた。が、この瞬間まで、ある肝心なことが瑛汰からも璃子からも次女からも、もちろん次女の旦那からも出なかった。

「今日から古希だね」

の一言である。
無論、古希にたどり着いたことを楽しんでいる私ではない。喜んでいる私ではない。だから

「おめでとう」

はいらない。それはいらないが、

「今日は誕生日だね」

の言葉ぐらいはあっても邪魔にはならないのではないか?

と思い、送られる車の中で次女に告げた。

「今日は俺の誕生日なんだけどな」

こんなことを私から言い出したことは、多分、これが初めてである。
次女の反応は次のようなものだった。

「えっ?! あ、そうか。ごめん。忘れてた」

瑛汰からも璃子からも次女からも、もちろん次女の旦那からも忘れ去られた私であった。
多分、1ヶ月近く前に古希の祝いをした。これで、彼らの頭の中では一つのストーリーにエンドマークが出た。あの日から、私は古希を迎えた高齢者として彼らの記憶にとどめられた。ために、誕生日当日になっても、誕生日であるということに誰も気がつかなかった。

ま、その程度のものであろう。

翻って、近い他人はよく覚えていた。営業には3人で向かったが、終えると一人が言い出したのである。

「大道さん、今日は古希の誕生日ですよね。お祝いしなくっちゃあ」

昼食を日本橋・砂場の蕎麦で済ませると、彼の車に3人で同乗し、東京・足立区に向かった。

「用意してありますから」

向かったのは、仕事仲間(声をかけた彼ではない。この仲間はこの日の営業には参加していない)の奥さんが経営するカフェである。確かに用意してあり、迎えてくれた仕事仲間は

「大道さんは白瀧酒造のお酒が好きだったんですよね」(「港屋藤助」のことだと思う)

と、日本酒を1本用意してくれていた。そしてケーキ付きである。これが私の古希の祝いであった。
もっとも、新桐生駅に車を老いてきた私は、アルコールを口にすることはできない。ジュースを飲みながらケーキをいただき、古希を噛みしめたのである。

さて、日本酒だ。かなりの高級品らしい。楽しみである。いつ封を切ろうか?

周りの話を聞いていると、近々「北千住の会」を開くのだという。我々の仕事仲間に、新しく北千住在住者が加わったのを祝って、みんなで酒を飲もうという趣向だ。桐生在住者も北千住なら日帰りができる。

「えっ、そんなのやるの? 俺、聞いてないぞ」

何でも前回の全体会議の時、急遽決めたのだそうだ。テーブルの、私から一番遠いところで数人で決めたので私の耳に届かなかったのではないかというのが皆の説明である。
もっとも、私も記憶力に自信を失いつつある。当日聞いたことを忘れているのかもしれない。皆はそんな私に気を遣ってくれたのではないか?

飲み会となると、私抜きで行われることはまずない。私は皆勤賞受賞者である。

「ということは、俺も参加するんだよね。だったら、いまいただいた酒はそこでみんなで楽しもうじゃない」

私は心が広い。例え頂き物でも、皆が楽しめるように使った方がいい。

「ということで、せっかくいただいたんだけど、その日まであなたが保管しておいてくれる?」

こうして私は、一升瓶を下げずに桐生への帰途についたのであった。

電車は、群馬大学の先生とご一緒である。彼は席に座るとスマホを取り出し、日程調整や各方面への連絡に余念がなかった。忙しそうだな、と放っておいたら、突然話しかけられた。

「大道さん、私も桐生で降りる。古希の祝いをしましょうよ。3時半頃桐生に着くから、その時間に開いている飲み屋を探したら、ほら、ここなら飲めます」

ふむ、私の祝いは足立区で済んだのではなかったか?
しかし、せっかくのお申し出である。

「いや、疲れているから今日は止そうよ」

と口にする勇気は私にはない。そんな一言を発したら、せっかく作り上げてきた人間関係にひびが入りかねないではないか。私は人間関係を何よりも大事にする常識人なのである。

時折、

「あんた、そんなこといってると周りは敵ばかりになるよ」

と忠告する人もあるが、私を分かっていない。敵ができなくてどうして味方ができる? 私が大事にするのは味方との人間関係である。

営業に来なかった仲間にも声をかけ、4人で酒場。飲んでいたら、私が期待する桐生の若手経営者からもショートメールで祝いの言葉が来た。すぐに電話を返し、

「いま祝いの席を設けてもらっているのだが、あなたも来ないか?」

と誘ったが、彼は仕事で前橋におり、間に合いそうにないというので

「じゃあ、改めて飲もう」

と電話を切った。

しかし、である。ファミリーが揃って忘れている私の古希の誕生日を、どうしてこの人々が覚えてる? この人たちは周りへの配りを人生で何よりも大事だと考える変わり者なのか? 私だけでなく、周りに古希を迎える人があれば何とか時間をやりくりして祝いの席を設けているのか?

いや、そうではあるまい。きっと、私だから祝いの酒席を開いてくれたのだ。
といっても、私が他に優れて愛されているというわけではあるまい。

ここからは私の推量である。
この方々は、きっと私をからかって楽しんでいるのである。いまだに年齢通りには見られない、実年齢よりずっと若く見ていただける私が、きっと羨ましいのだ。だから、

「へっ、あんた若そうな格好して若ぶってるけど、あんたも70なんだよ。古希なんだよ。あんただけがいつまでも若くいられると思ったら大間違いなんだよ。70は70.ちっとは自分の年齢を自覚しろよ」

と、酒を飲みながら溜飲を下げているのである。
まあ、それでもいい。ただ酒を飲めるんなら、何だっていい!
祝っていただいて、どうもありがとうございました!!

さて、問題は我がファミリーである。親父をからかう気もなくしたか、と思いながら酒を飲んでいたら、胸のポケットでiPhoneが鳴り始めた。

「ボシュ、いまからハッピー・バースデーを歌うからね」

長男の一粒種、あかりからだった。FaceTimeに登場したパジャマ姿のあかりが歌い始めた。

「ハッピ・バーシュデー・トゥ・ユ/ハッピ・バーシュデー・トゥ・ユ・ハッピ・バーシュデー・ディア・ボシュ/ハッピ・バーシュデー・トゥ・ユ」

ほほう、我がファミリーにも私の古希の誕生日を楽しむ者が1人だけはいたか。

iPhoneの画面で、あかりはおもちゃのケーキを取り出した。それをおもちゃのナイフで4つに切り分ける。

「ボシュ、食べて!」

「はいよ、ありがとう。じゃあ、ボスも食べるから、あかりも食べてな」

まあ、楽しんだ古希の日であった。