06.09
ネットに現れる世論は、本当の世論なのだろうか? プレスリーを見ながら考えた。
私の映画鑑賞はエルビス・プレスリーまで進んだ。全盛期のプレスリーはハリウッドのドル箱スターだったらしく、彼が出演する映画は数多い。だが、プレスリー人気を当て込んだ、いや人気だけをあてにした映画群のほとんどはご都合主義満載の
「何でそうなるの?」
の連続(考えてみれば、ビートルズの「ヘルプ!」もその類の映画であった……)で、私の場合は見た後、直ちにお蔵入り処分をしてしまうのだが、中にプレスリーのコンサートを記録したものもあり、これにはやや心惹かれるものがあった。
上手いのである、プレスリー。声になんともいえない魅力があり、若きジョン・レノンが
「何で俺の声はプレスリーと違うんだ?!」
と悔しがったのも頷ける。ジョンの声はジョンの声で私にはたいそう魅力的なのだが、若い頃に無い物ねだりをするのは誰しも経験することだろう。
加えてリズム感、歌唱力、声域の広さ、そして白人なのにゴスペルを基本にR&Bを加え、恐らく当時としてはまったく新しい音楽を生み出したこと。その総合力がエルビス・プレスリーなのだと思い知らされた。彼は天性のスターであった。
プレスリーといえば、私の一番古い記憶は中学生時代に遡る。当時の私はポップスお宅で、毎週日曜日朝の、確か高崎一郎というDJの番組を欠かさず聞いていた。新聞配達のアルバイトでテープレコーダーを手に入れてからは、ラジオのスピーカーの前にマイクを置き、録音もしていた。
この番組は、リスナーの投票でベスト10を決め、毎回10位の曲から流していた。私は大学ノートに各曲のページを作り、順位の変動を折れ線グラフにしていたから、お宅ぶりも堂々たるものである。
その頃、プレスリーが時折ベストテンに顔を出していたのである。確か「ラスベガス万歳」とか「Crying in the Chapel」あたりだったと思うが、実は当時の私はあまりエルビスが好きではなかったから、彼の曲がかかると
「いいよ、こんな曲、早く終わっちゃえ!」
と苛立ったものである。だからだろう、いまNASに貯め込んでいる膨大な音楽コレクションに、彼のアルバムはたった4枚しかない。これから少し増やしてみるか?
いや、以上は今日の原稿の前ぶりに過ぎない。エルビスのステージ映像を見ながら中学生時代を思い出した私は、アナログからデジタルへの時代の変遷に思いを致したのである。
あのころ、高崎一郎の番組だけでなく、リスナーの投票で順位を決める手段は葉書しかなかった。葉書に
「私はビートルズの『抱きしめたい』が聞きたい!」
と書き込み、ポストに投函するしかなかった。放送局では届いた葉書を仕分けし、順位をつけた。
いまそのような音楽に順位付けをする番組があるかどうか、ラジオを聞かない私にはわからない。しかし、もしそんな番組を放送しようと思えば、ネットでの投票ということになるだろう。投票は放送局のパソコンで集約され、マウスの動き1つで直ちに順位が出る。実に便利な時代である・
しかし、なのだ。当時と今で、投票の重さに違いがあるのではないか? というのが、エルビスの歌う姿を見ながら私の頭に浮かんだことである。
葉書しか投票する手段がない時代、投票しようと思えば、まず5円の官製葉書(いま思えば安いが、私の小学生時代の小遣いが1日5円であったことを考えると、決して安くはない)を購入する必要がある。その葉書に
『わたしの好きなこの曲が1位になりますように!」
と願いを込めつつペンを走らせる。宛先、自分の住所を書き込んだら、ポストまで足を運び、投函する。
いまは、パソコンやスマホで投票ページを開き、ポッチンすれば終わりである。
リスナーの好きな曲を集約するという結果だけなら、同じだろう。いや、今の方が投票総数は多いのかも知れない。だが、5円支払い、念入りに記入してポストに投函するのと、手元のパソコン、スマホを使ってコストゼロでおこなう投票と、1票に込められた重さが違うのではないか? いまの投票結果は、
「ちょっと気に入ったからポッチンしておくか」
程度の思いしかなく、昔に比べればはるかに薄っぺらいものになっているのではないか?
それは音楽だけの話ではない。金も手間も暇もかけずにネットで集められる世論って、本当の世論(そんなものがあるとして)なか?
いまや新聞やテレビの世論調査は、コンピューターで自動生成した電話番号に、コンピューターが自動的に電話をかけ、その結果を集約するものらしい。
「これ、コストが余りかからないし、結構当たるんですよ」
とは、同じ手法で選挙予測を出していたある政治家の話である。
なるほど、当たるのか。でも、世論って、そんなに金も手間も暇もかからずに形成されるものなのか?
世の中が軽薄になってしまった、とつぶやきたくなるのは、私が高齢になったためだろうか? それとも……。
プレスリーを見ながら、そんなことを考えてしまった私であった。