2023
03.20

当面、ふきのとうは適当に食べることにした。

らかす日誌

昨日に続いてふきのとうの話である。ただし、今回は料理の話ではない。

昨日の日誌をアップしたあと、ふきのとうに含まれる抗がん剤「ペタシン」について、ネットでさらに調べてみた。ある、ある、結構ある。そこそこ話題になっているんだね、「ペタシン」。

で、色々見ていたら、もう少し詳しいことが分かった。

「ペタシン」はがん細胞内のミトコンドリアを狙い撃ちにするらしい。ミトコンドリアとは細胞内小器官と呼ばれるもので、細胞内でエネルギーを造り出している。
ずっと昔だが、「パラサイト・イブ」というSFホラーを読んだことがある。粗筋もなにもすっかり忘れたが、確か、細胞内のミトコンドリアが叛乱を起こす、という話だった。
ま、それはどうでもよいが、「ペタシン」ががん細胞のミトコンドリアを攻撃して破壊すれば、がん細胞は糧道を断たれたことになり、死滅するわけだ。

しかし、正常細胞にもミトコンドリアは存在してエネルギーを造っている。だから、正常細胞のミトコンドリアも殺されてしまっては都合が悪いのだが、この「ペタシン」は何故か、正常細胞は攻撃しない不思議な性質があるとのことだ。

そこまでは、不充分(どうしてがん細胞だけを攻撃するのかなど)にながら理解したことにして、次は実験方法である。
岐阜大学では体内から取り出して培養したがん細胞だけではなく、がんになったマウスのお腹に高濃度のペタシンを投与したのだそうだ。すると、がん細胞が小さくなったという。その効果たるや、ミトコンドリアを攻撃する既存の抗がん剤の1700倍、というから凄まじい。

ここで私は引っかかったのである。引っかかって、当面、ふきのとうは適当に食べることにした。
だって、研究チームががんのあるマウスに投与したのは、高濃度の「ペタシン」である。ということは、「ペタシン」をふきのとうから抽出して純度を高め、それを大量に集めたものだろう。1回の投与量を得るのに、いったい何個のふきのとうが必要なのか? ひょっとして100個? 200個? それを何回服用すればがんを死滅させることができるのか? そもそも、そんな量は食べきれないだろうし、ふきのとうだってそこそこの価格がついている。ふきのとうを食べてがんを殺そうとすっれば、金が続きそうにない。

というわけで、ふきのとうの薬食いは断念することにした。しかし、あの香りは何ともさわやかで、まさに春の臭いである。だから、適当には食べようと思っている。

さて、「ペタシン」の未来だが、なんでも岐阜大学は、「ペタシン」の合成に取り組むらしい。そのさい、構造を改変してより効果が高く、副作用の少ない薬物を開発するとしている。このあたりは合成化学の独壇場だろう。その上でマウスを使った実験に取り組むそうだ
しかし、例えそれに成功しても、人のがんの治療に使えるようになるまでには臨床試験も含めて多額の費用と長い時間がかかる。どこか製薬メーカーがつけば費用はまかなえるかも知れないが、時間を短縮するのは至難の技である。残念ながら、私の前立腺がんに間に合う可能性はほとんどない。残念だ。

それはそうと、この岐阜大学の研究をネットで調べながら、1年ほど前に読んだ本を思い出した。「新薬という奇跡」(ドナルド・R・キルシュ&オギ・オーガス著、ハヤカワ文庫)である。
中身はうろ覚えなのだが、確か19世紀半ばまで、新薬ハンターは世界各地で植物を採集した。いま主に植物を薬剤として使うのは漢方薬の特許のようにいわれるが、それは間違いである。洋の東西を問わず、長く使われてきた薬は植物だったのだから。「薬」という漢字は、だから草冠がつく。代表的な植物由来の薬は阿片、そしてマラリア特効薬のキニーネである。
植物がネタ枯れになると、土壌中の細菌が狙われた。薬ハンターたちは世界中の土壌を集め、細菌を取り出しては薬効を探った。細菌由来の薬で最も著名なのはペニシリンだろう。
そしていまは合成薬全盛時代である。ほとんどの薬が化学合成で作られる。いってみれば、病を得たときに私たちが飲む薬のほとんどは石油から作られているのだ。

と薬の歴史を見てくると、いま、がんの薬の研究は二時代前に戻った感がある。岐阜大学の研究もその1つであり、私が服用している青嵩、びわの種の粉末も同じである。高崎のS院長によると、世界的に見れば、がん患者に投与される薬の6割は植物由来のものに戻っているという。どうやら、歴史が繰り返しているのだ。
そして岐阜大学が目指しているように、植物から有効成分を見出すことに成功すれば、その成分の構造を明らかにし、それを合成し、さらに一部構造を変えて効き目を高めて副作用を減らす、ということだってできる。植物しかなかった二世代前と、合成薬が幅をきかすいまの世代が融合するのである。

面白い。世代間の対立を煽る言説を繰り返す方もいらっしゃるようだが、薬の歴史を辿りながら、若さのエネルギーと老いの知恵とは融合した方がはるかに明るい未来が切り開けるのではないか、とも考える私であった。