私と朝日新聞 3度目の東京経済部の13 新年1面企画を書けと命じられた
私が記事審査室員になったのは10月。半年の約束だから、翌年3月までのおつとめだ。そう思って…
私が記事審査室員になったのは10月。半年の約束だから、翌年3月までのおつとめだ。そう思って…
「大道君、記事審査室に行ってくれないか?」 と経済部長に言われたのは、ウイークエンド…
朝日新聞社のコアタイムは、9時〜17時、10時〜18時の2本立てだった。職場の実情に応じて…
①ウイークエンド経済編集部にはデスクが2人いて、週替わりでフロント面を担当した。 ②…
先日Amazonに注文した栗原さんと赤池さんの本が届いた。「お医者さんの食卓」(朝日新聞社…
ウイークエンド経済時代の話を書いている最中に、「ウイークエンド経済」を論じた文章にぶつかっ…
おかしなウイークエンド経済部員がいた。いや、おかしいというのは私の主観である。他の人から見…
栗原さんと赤池さんは私が発掘したコラムニストである。当然私が担当する。毎週締め切りまでに原…
栗原さんを初めて訪ねたのと並行して、私は赤池学さんとも会った。I 編集長に渡された「メルセ…
次は「食」である。八重洲ブックセンターで私は、これは、と思える2、3冊の本を買った。その中…
当時のウイークエンド経済の編集長をIさんといった。東大卒。私などとても及ばないほど頭のいい…
人の記憶とは不思議なものである。古いことはよく覚えているのに、新しくなると徐々に記憶が混乱…
さて、3度目となった私の東京での仕事は、悲惨な話から始めなければならない。私が東京に帰任し…
申し訳ない。またまた「2度目の東京経済部」に舞い戻った。書きわすれていたことを思い出したの…
2度目の名古屋勤務は3年半の長きにわたった。長男はこの間に高校を卒業し、みごとに1浪の身と…
それにしても、である。加藤東海銀行会長に対する周りの評価は驚くほど低かった。 「だが…
年末に次女一家がやって来た。ファミリーレストランで一緒に食事をするだけの短い滞在だった。両…
そろそろ「ウイークエンド経済」におさらばしようと思っていたら、 「ああ、こんなことも…
足繁く、とまではいわないが、私は結構頻繁に城南電機を訪ねた。宮路社長がいればすぐに社長室に…
「ビジネス戦記」は、いわゆる聞き書きで作り上げる。私たち記者が取材先から話をうかがい、取材…
宮路社長にはよくご馳走になった。 「お返しを」 といっても、応じてくれる人では…
城南電機、宮路年雄社長のロールス・ロイスの話を続ける。 「お父さん」 と私に声…
そんなことを繰り返しながら、だが、私と宮路社長の仲は急速に接近した。どうやら私は宮路社長の…
家電品の価格のからくり、流通の問題は是非記事にしたいテーマだった。どんな仕組みがあるから販…
この頃私は、家電製品の価格のからくりを知りたくて仕方がなかった。同じメーカーの同じテレビで…
「カタログ」というコーナーも、ウイークエンド経済の定番だった。故花森安治氏を真似たわけでは…
クリスキットの桝谷英哉さんにコラムの執筆をお願いしたのも、ウイークエンド経済だった。もちろ…
ウイークエンド経済の紙面はフロント面だけではない。ほかにもいろいろな趣向があった。 その…