2024
03.23

私と朝日新聞 デジキャスの14 「シネマらかす」あれこれ

らかす日誌

デジキャスのHPは毎週1本の原稿をアップすることを原則としていた。このペースが途切れてはいけない。私は常に、原稿のストックを5本持つように心がけた。5本のストックを維持するため、毎週1本、新しい映画を書く。なかなかに酷な作業である。しかし、一定数の読者がいる。書き続けなければならない。

会社で原稿を書いていて、ある箇所に差し掛かると鼻がグズグズし始め、やがて目頭が熱くなり、が湧きだし始めて何度も執筆をやめた映画があった。「おばあちゃんの家」である。
涙に襲われたのは、私が書いた原稿のこの部分である。

「縫い糸に張りを通すシーンは、この後に来る。
手前におばあちゃんが寝ている。ということは、もう夜中である。後ろ向きになったサンウが何かやっている。サンウが、左手をスッと上げた。手元から糸が伸びている。そうか、自分がいなくなった後で、おばあちゃんが困らないように縫い針に糸を通しているんだ。
カメラが前に回る。でも、見えるのはサンウの正座をした足と、針と糸とはさみを使う手だけである。顔は見えない。ありったけの縫い針に糸を通し終えたサンウは、段ボール箱を使った裁縫箱に、糸の通った縫い針がたくさん刺さった針山と、糸を切るのに使ったはさみと、糸巻きを丁寧にしまい、段ボール箱を部屋の隅の方にそっと押す。
サンウは、どんな顔をしてこの仕事をしているのだろう? 泣いているのか? 笑っているのか? 淡々と仕事をしているのか?
わずか42秒間の短いカットである。でも、あれほど面倒くさがっていた糸通しを続けるサンウから、おばちゃんへの熱い思いやりが切々と伝わってくる素晴らしいシーンである」

そして、この部分である。

「家に戻ったおばあちゃんは、サンウがくれたカードを取り出してみた。
1枚には、人が寝ている絵が描いてあり、体が痛いよと字が書いてある。
次の1枚は、口を開けている大きな顔の絵だ。文字は『会いたいよ』
3枚目は寝て汗をかいている人の絵で、『からだが痛いよ』
4枚目は笑っている顔。『会いたいよ』
5枚目は遊んでいる子供の絵。『会いたいよ』
そして、すべてのカードに
『おばあちゃんより』『サンウへ』と書いてあった。
縫い針に糸を通し終え、一度は寝ようとしたサンウが、話せない、字が書けないおばあちゃんのために、また電気をつけて、遅くまでかかって作ったカードだった」

それまでは快調に(?)キーボードを叩き続けていたのに、ここまで来ると指が止まる。映画のシーンがまじまじと蘇るのだ。そして涙が滲み出す。とても原稿なんて書いてはいられない。
50を過ぎたいい大人が人前で涙なんか見せられるか! 私は喫煙コーナーに足を運んだ。ここは煙を吸い込んで気分を落ち着かせなければならない。出かかっている涙を押しとどめなければならない。タバコをくゆらせながら、いつもの喫煙仲間と雑談を交わす。そのうちなんとかなりそうに思えてくる。再びパソコンの前に戻り、原稿を書き続けようとする。その瞬間、またまたあのシーンが脳裏に写し出される。いかん、また涙が出そうだ……。

自分の机と喫煙コーナーを何度往復したことか。映画をじっくり見て、原稿を書くために記憶に刻み込むと、時にこのような副作用が出るものらしい。

ウォルター少年と、夏の休日」を執筆していたある日、私を酒に誘う同僚がいた。仕事を終え、町に出る。確か青山あたりの小さなスナックで飲んだ。
話題に窮したからだろうか、私は現在執筆中の映画が極めて面白いという話をした。私の話には説得力があったらしく、同僚もスナックのママさんも

「見てみたい」

と言い出した。そうか、見てみたいのか。そういえば私のカバンには、原稿を会社で書くためのDVDが入っている。パソコンで再生しながら原稿を書くためである。

「いま、見たい?」

私はそう切り出した。

「この店にDVDプレーヤーはある?」

あった。テレビのそばに置かれていた。

「だったら、見てみる?」

こうして、小さなスナックの小さなテレビで「ウォルター少年と、夏の休日が再生され始めた。
同僚、スナックのママさん、2人とも言葉を失い、テレビ画面に見入っている。時計を見た。もう12時近い。そろそろ帰宅の途につかねばならない。しかし、映画の方はまだ半分程度しか進んでいない。つまり、山場はこれからなのだ。
さて、困った。私は帰りたい。しかし、私がDVDを持って帰れば彼らはこの映画の鑑賞を途中で打ち切られてしまう。どうするか?

「ね、俺はもう帰りたいんだけど、君たちはこの映画の続きを見たい?」

2人とも

「是非見たい!」

と声をそろえた。私は意を決した。

「じゃあ、DVDは置いていくから、見続けてよ」

「ありがとう。終えたらお返ししますから」

とママさんが言った。私は

「いいよ、それ、あげる。私の分はもう一度ダビングすればいいから」

こうして、私は思わぬところで「ウォルター少年と、夏の休日」を私と同じように好む友を得たのである。
もっとも、そのスナックに足を運ぶことはその後なかったが。