2024
03.22

私と朝日新聞 デジキャスの13 シネマらかすの書き方について

らかす日誌

さて、「シネマらかす」を私はどう書いたか。

最初は、映画選びである。もっとも、最初の数本はすぐに決めた。

Let It Be=The Beatlesと同世代である以上、書かざるを得ない
華氏911=アメリカの大統領選挙、アホブッシュに関心がある以上、必須
アマデウス=何度レンタルビデオを借りて家族揃って鑑賞しただろう
裸の島=映画館の暗闇で号泣を強いられた思い出深い映画
レイダース 失われたアーク《聖櫃》=これほど面白い映画を見た記憶がなかった
サルバドル=映画館で見て戦慄した映画である
ジャッカルの日=小説と映画のずれ
鞍馬天狗=「鞍馬天狗のおじさんは」(ちくま文庫、竹中労著)を読んだ以上、書かざるを得ない

そのあたりで私のストックは尽きた。そう、私はあまり映画を見ていないのである。
だからその後は、自宅にいる休日はできるだけ映画を見た。原稿にしたくなる映画を探すためである。自分の時間だけでは足りなくなって妻女殿にも助力を願った。

「お前の見た映画で面白いものはなかったか?」

と。確か、「おばあちゃんの家」「初恋のきた道」「ライフ・イズ・ビューティフル」あたりは妻女殿の推薦ではなかったか。

取り上げる映画を決めると、私はその映画をDVDにダビングした。それを可能にする器具があるから使った。会社のパソコンで再生するためである。原稿は自宅でも書いたが、会社でも書いた。

準備は整った。では書き始めるかというと、そうもいかない。まず、取り上げた映画をじっくり見なければならない。もちろん、要所要所ではノートにメモを取る。それだけではない。この映画をどう料理するのかも考えなければならない。単に映画を紹介する原稿ではない。映画を通じて、私の何かを表現しなければならない。この映画はどの角度から切り取ればいいのか?

何度も見直している内に、何となく、ボンヤリとイメージが浮かび始める。だが、イメージでは原稿にならない。どんな言葉で、どんな語り口で、この映画を切るのか。そこまで行き着かなければ原稿にはならない。
フッと言葉が浮かぶ瞬間がある。それは入浴中だったり、トイレタイムだったり、愛犬リンとの朝の散歩中だったりした。何となく、この映画を語る言葉をつかみ取った気になる。

例えば「ジャッカルの日」で、私は

「見てから読むか、読んでから見るか」

と書きだしている。そうだ、この映画には欠陥がある。原作にあるのに映画では省略してしまった肝心な1点があって、映画を見ただけでは絶対に了解できないその1点を書こうと思ったからである。

あるいは「初恋のきた道」では、

「ほんとうは身も凍るほどに怖い、でも限りなく美しい初恋の物語である」

が書き出しだ。なぜそんな書き出しにしたのか、私は何を書こうと思ったのかは、私が書いた原稿を読んで判断していただきたい。

取り上げる映画が決まり、どのように書くかが決まり、書き出しのフレーズが思い浮かぶ。いよいよ執筆である。

私は「シネマらかす」を始める前、

「映画について書いたことはないが、5本か10本書いたらコツがつかめるはずだ。それまでの我慢だ」

と高をくくっていた。ところが、3本書いても5本の原稿をアップしても、10本に達しても、一向にコツらしきものはつかめない。何のことはない。映画とは1本1本違うのである。どの映画を書くにも使える共通のコツなんてありはしないことに気づかされるだけだった。

「これはまあ、大変なことを始めてしまった。後悔先に立たず、だな」

と思ったが、始めた以上、続けねばならない。次の1本、その次の1本、と書き続けたのが「シネマらかす」だった。毎週1本のペースで書き継いだのだから、我ながらよくやったと褒めてやりたいところである。

そのころ、デジキャスのHPの読者は、毎週1万5000人を超えた。8000万人といわれた「侍魂」に比べれば微々たる数だが、それでもそこそこの数ではある。日立製作所から来た同僚が担当していたことに比べれば、数十倍、いや数百倍であった。アクセス数だけから見れば、HPの改修は成功したといってもいいだろう。HPへのアクセス数が増えても、デジキャスの収入は1円も増えなかったことを除けば、の話ではあるが。