こうなれば仕方がない。翻訳をこちらでやり、大澤さんの英語版のページを作るしかない。私は覚悟を固めた。
計画はこうである。
①公開済みの大澤さんのページをhtmlとしてコピーし、新規の編集画面にペーストする。こうすれば、写真を含めたそっくりさんのページができる。
②そのそっくりさんページの日本語をコピーし、ジェミニに翻訳させる。
③英語になったら、そっくりさんの日本語のところにこの英語をペーストする。これで大澤さんの英語ページができる。
④入り口として上部のメニューに「Kiyomi Osawa(English)」を加える。
⑤このメニューをクリックすると、英語版の目次ページに飛ぶ。
以上である。私は早速作業にとりかかった。
ここまで来て、考えてみればこれが正解なのかもしれないと思い始めた。プラグイン任せで自動翻訳すると、
①翻訳された英語が不適切でも修正する術がない
②自動翻訳はアクセスを待って始まるので、英語での検索には絶対に引っかからない
という欠点があるのだ。
それに対して翻訳文はこちらで作れば、できるだけ原文に近い英語を選び取ることができるし、英語にしたページは常に公開しているのだから、英語での検索に引っかかる可能性が高い。
追い込まれた末の選択とはいえ、結果論で言えば私は正解を選び取ったのではないか?
というわけで、私はゴールに向かって疾走を始めた。完璧な計画である。もう暗礁はないだろ?
ところが、なのだ。暗礁とは船員も船長も気がつかぬところにあるから暗礁なのだ。私が思いもしなかった問題が発生したのだ。
私が思いもしなかった問題――主語を省いても意味が通じる日本語の特性である。
例えば、こんな書き出しがあった。
「見知らぬ人からの手紙を受け取ったのは1975年秋だったと記憶する。天下の日展からは門前払いを受けた大澤さんだったが、そのころには「知る人ぞ知る」刺繍作家として世に認められ始めていた。突然の手紙を受け取ることも増えていた」
その翻訳文を見て、私は
「ああ、AIの力量もまだこの程度か」
と嘆息した。こうなっていたのだ。
「I recall it was in the autumn of 1975 when Ms. Osawa received a letter from a stranger. Although she had been turned away from the prestigious Nitten exhibition, she was beginning to be recognized in the world as a “hidden gem” of an embroidery artist. She had also started to receive sudden letters from unknown sources.」
ジェミニは、記憶している主体を私と誤認したのである。私はこの原稿の筆者ではあるが、1975年に大澤さんが何をしていたかなどの記憶を持つはずがない。そもそも、そのころは大澤さんの存在すら知らなかったのだから。
それがジェミニは分からない。
人名の読み方も不得手のようだ。大澤さんのお父さんは藤三郎という。日本語で読めば「ふじさぶろう」か「とうざぶろう」である。これをジェミニは「Saburo Fuji」と翻訳した。分かっちゃいないのである。
というわけで、全21回、加えて、「桐生の職人さん」で書いた3回は全て英語ページにしたが、いまはその点検中である。私の注意力、英語力でどこまで点検できるのか、正直自信はない。私に
「大澤さんのページの英語化」
を命じた人物は英語に堪能なので、最終的な点検は彼に依存するしかない。
思えば難行苦行の連続であった。そのため、この「らかす」の英語化は断念したが、しかし、大澤さんについて書いた私の原稿が、約15億人といわれる英語国民からアプローチされる可能性が生まれる、と考えると、ワクワクしないでもない。
何としても点検を進め、明日以降、英語の目次ページを作り、メニューに「Kiyomi Osawa(English)」を加える。そうすれば一気に公開だ。
待ってろよ、15億人!

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