10.23
2008年10月23日 私と暮らした車たち・その2 前史その2
すべてを計算し尽くし、最もリスクの少ない生き方を選ぶ。それが賢い生き方なのかも知れない。
「妻をめとらば 才たけて みめ美わしく 情けある」(「人を恋ふる歌」、与謝野鉄幹作詞)
できればこれに、資産家の娘で、その親は権力と影響力があれば申し分ない。
そんな人生を選び取るのが、賢さの表れかも知れない。
だが、計算ずくの生き方が面白いか? 私はそんな反骨精神旺盛なタイプである。自分では最も優れた生き方と思うのだが、無謀と呼ぶ人もいるようだ。
まあ、いいたいヤツにはいわせておけばいい。世の中で無謀なのは私だけではないのである。
私は普通車の運転免許を手にした。殺しのライセンスまではくっついていないが、車を運転することはできる。手にした私は、その足で下宿から一番近いところにあった運送会社の門をくぐった。1年間、トラックの運転手として働こうというのである。
いまなら分かる。無簿な試みである。自慢ではないが、私は自動車教習所に通うまで、車というものを運転したことがなかった。アクセル、ブレーキの区別さえ知らなかった。クラッチなんてものが、どんな役割を果たすのかにいたっては、考えたこともない。
運転席に収まり、横に座った教官から、これがクラッチ、踏みながらギヤをローに入れる、ゆっくりとクラッチを離しながらアクセルをゆるゆると踏む。そうすれば車が動き出す。ある程度スピードに乗ったらクラッチを踏み込み、ギヤをセカンドに変える。次はトップギヤだ、止まる時はブレーキを踏む、と教えられた。なるほど、車とはそのようにして動かすのか、と頭では理解したが、ゆっくりと離すはずのクラッチは何故か突然つながり、車が急発進することもあれば、突然車が止まることもある。
「おい、いま車を運転しているヤツらは天才かよ!?」
という思いをしばがら車との付き合い方を学び始めて、まだ半年とたっていない。それが、トラックの運転手になる。無謀である。というより、危険である。そんなヤツにトラックのハンドルを任せたら、走る凶器になる。
というのが常識的判断であるはずだ。20歳の血気盛んな若者に常識が期待できないのなら、それを押しとどめるのが大人の常識であるはずだ。
「というわけで、1年間だけ働こうと思っています。免許は2ヶ月前に取りました。ここで働かせてもらえませんか?」
身長182cm、体重70kg強の美しい若者がそういっても、
「君ねえ、免許を取って2ヶ月? それじゃあ、プロのドライバーは無理だよ」
美しい若者の色香に惑わされることなく、そういうのが大人の常識であるべきである。
私を面接した常務さんだったか、専務さんだったか忘れたが、四角い顔にぶっとい眉、二重まぶたのタレ目で髭の濃いおじさんは言った。
「ああ、そう。あんたも苦労しとっとやねえ。ばってん、立派たい。休学して学資ば稼ぐちゅうとは偉か。分かったばい。分かったけん、明日から出て来んね」
私はすんなり採用された。おいおい、免許取り立てのヤツをドライバーにしていいのか?それで企業企業としての社会的責任を果たせるのか? あんた、そりゃ無謀ばい!
かくして私は、翌朝からその運送会社に通い始めた。始業は、確か8時半か9時だったと思う。だが、30分前には会社に着き、朝飯を食った。まあ、女も年数を重ねるとこれだけしわくちゃになるかというばあさんのまかない婦がいて、朝飯を作ってくれた。寮で寝泊まりする「先輩」たちがたくさんいたからである。
このしわくちゃのばあさんは、何故か私を可愛がった。飯の盛り、みそ汁の量がほかと違った。「先輩」たちがからかい半分に文句を言うと、
「何ばいいよっとか。大道さんばよー見らんか。こん兄ちゃんな、大学に行きながら仕事ばしとっとぞ。お前たちゃ本の1冊も読まんやろが。読んだっちゃ、裸ん写真のいっぱい載っとるいやらしか本たい。少しゃ大道さんば見習わんか!」
手鼻をかみながら怒鳴り散らした。このしわくちゃのばあさん、ひょっとしたら初めて大学生を見たのかも知れなかった。
私は、まず見習いを命じられた。私を指導したのは、確か酒井さんといった。ずんぐりむっくりの体で、坊主頭。目が細く、だがいつも笑っている。
「ほんなら行こか」
2tの有蓋トラックの助手席に乗せられ、仕事に向かった。我々の仕事は、ロッテの商品配送である。そういえば、車体はロッテ色に塗り分けられ、クールミントガムか何かの絵が描いてある。
福岡市のロッテの倉庫から、市内の卸屋さんまでお菓子を運ぶのが仕事である。
やがて私は2tの有蓋トラックを与えられ、独立した。プロとして独り立ちしたのである。
私はロッテでも可愛がられた。自衛隊を辞めてロッテに入ったというおじさんは、私を「青年」と呼んだ。朝、運送会社でロッテマークの2tの有蓋トラックに乗り込み、30分足らずロッテで倉庫につくと、
「おーい、青年!」
といいながらこのおじさんはやってきた。いつもにこにこ笑っている。
「今日はたくさんあるけん、私も一緒に行くばい。えーっと、クールミントが17ケースに、アーモンドが34ケース、それに……」
といいながら一緒に積み込み作業をする。終わると私がハンドルを握り、おじさんは腕組みをしながら助手席に乗る。
「会社におらんでよかとですか?」
とたまに聞くと、
「よかよか。会社におるよか、こげんして外に出とった方が気分のよかけんねえ」
いいおじさんだった。
ん? 当時彼はいくつぐらいだったろう? 30代半ば? 叔父さんと呼ぶのは可哀相か……。
まあ、私の労働内容はどうでもいい。テーマは、「私と暮らした車たち」なのだ。車に焦点を合わせねば。
免許を取って2ヶ月で2tトラックのハンドルを握る。私は大丈夫たと思った。運送会社の経営者は何も考えなかった。それが自信過剰であり、安全管理の欠如であることが現れなければ、この世に秩序などない。
慣れほど恐ろしいものはない。免許取り立ての私は、最初は慎重に運転した。事故を起こすのはプロの名折れである。運転に慣れてない以上、慎重に慎重を重ねるしかない。だが、重ねすぎると、いつしか緊張の糸がプツリと切れるのが人間である。
あれは何ヶ月たったころだったろうか。
狭い道を通らねばならなかった。次は左折だ。角には電柱が立っている。ブレーキを踏んで速度を落とし、ハンドルを左に切った。ガリガリ、と左の後ろから音がした。
サイドミラーを見た。あれっ、ボディーが電柱にくっついてる!
そうか、あの音は電柱とボディがこすれた音か。こりゃいかん。電柱とトラックのボディは相思相愛の仲ではないようだ。体を寄せ合ったら、ガリガリと不快な音を出したではないか。であれば、体を寄せ合う前の状態に戻すしかない。何も考えず、さして慌てもせず、ギヤをバックにれてアクセルを踏んだ。とにかく、体を寄せ合う前の状態に戻さなければ。
ガツッと音がした。あれ、この音は何だ? 何かにぶつかったようだぞ?
トラックを降りて、音のした方に歩いた。タクシーから運転手が降りてきた。
「兄ちゃん、なんちゅう運転ばすっとかね!」
えっ、後ろにタクシーがいたのか! いるならいるって、事前にいってくれればいいのに。
私の最初の交通事故である。
原因:
内輪差を頭では知っていても、体得していなかった。
サイドミラーの使い方をマスターしていなかった。
有蓋車のため、バックミラーは使用不能だった。
運転技術が未熟だった。
忙しい日だった。いくつ目の配達先だったか、大きな卸屋さんに着き、バックで荷下ろし場にトラックを着けた。左右にはトラックが止まっていた。この程度の縦列駐車は苦もなくこなせる腕前になってはいた。
荷物を降ろし終え、運転席に飛び乗ると次の配送先に向かうべくエンジンをかけ、クラッチを切ってギヤをローに入れ、アクセルを踏みこんだ。車が動き出した。あれっ、左に曲がるぞ。ぞうか、ハンドルを左に切ってトラックを着けたんだったなあ。ハンドルは戻さずじまいだったか。
と思った瞬間、またしても嫌な音がした。ガリガリ。
左に止まっていたトラックに、私のトラックがぶつかっていた……。
原因:
不注意。
慢心。
片側2車線の広い道だった。私は中央よりの車線を走っていた。前を走っていた車が、突然右のウインカーを出した。
「そうか、お前は右折するか。もう少し早くウインカーを出してくれるといいのにな」
左のサイドミラーをチラリと見る。後続車はない。私は左にハンドルを切った。右折車を避けるためである。
「ええっ!」
左にハンドルを切っ外側の車線に出たとたん、目の前に車がいた。ノロノロと走っていたのか、止まっていたのか、いまとなっては記憶は曖昧だ。ただ、目の前に軽自動車がいた。
必至でブレーキを踏みつけた。
ドッスン!
嫌な音がした。ホモには全く関心がなく、ヘテロセクシュアル一辺倒である私が、お釜を掘った。
私の初めての、これまででは唯一の人身事故である。後日、私は警察署への出頭を求められた……。
原因:
といわれてもなあ……。走行斜線上に、止まっているか、ほとんど止まっているに等しい速度で移動している車があるって、どうやったら予測できるんだ? あの時どうしたらよかったんだろう?
私が乗っていたトラックのエンジンはディーゼルだった。当時のディーゼルエンジンは、ちょっと違った取り扱いをしなければならなかった。
始動するには。まずエンジンを予熱する。予熱ボタンを押し、やおらキーをひねる。そうすると動き始めてくれる。
決定的に違うのは、エンジンを止める時である。
ガソリンエンジンなら、キーをひねってオフにすればエンジンは止まる。圧縮したガソリンにプラグで添加する仕組みだから、プラグへ電気供給を切ってやればエンジンは止まるのである。
ディーゼルエンジンはそうはいかない。ディーゼルエンジンにプラグはない。ピストンでシリンダー内の空気を圧縮して高温にし、そこに燃料を吹き込んで燃やす。だから、電気的にエンジンを止める方法がない。
では、どうするか。
シリンダー内の空気を抜くのである。そうすればシリンダー内の温度が下がり、燃料が入ってきても燃えない。
私が乗っていたトラックには、シリンダー内の空気を抜くためのボタンがあった。こいつを引っ張るのである。引っ張ってシリンダー内の空気を抜けば、エンジンは止まる。
その日、配送を終えた私は、午後4時頃ロッテの倉庫に戻った。事務所の前に、ニコニコおじさんとは別のおじさんがいた。このおじさんはバイクで通勤していた。
事務所の前でトラックを止め、キーをオフにしてエンジン停止ボタンを引っ張った。サイドブレーキを引き、ドアを開けて外に出た。
「やあ、労働者の仲間諸君、私は本日のノルマを果たし終えたぞ。君らはまだ仕事を残しているのか? まだ資本家どもに搾取されようっていうのか? 早くやっちゃって遊びに行こうよ!」
仕事を終えたあとはこんな気分である。気分を言葉にしようと、そのおじさんの方に歩み寄りかけた。突然、おじさんの顔が恐怖で歪んだ。目線は私を向いていない。
????
おじさんの目線を追った。私のトラックにぶつかった。あれれ、トラックが動いてる! エンジンが止まってない!!
慌てた。おじさんは事務所の壁を背にして立っていた。トラックは一直線におじさんに向かって進む。おじさんとトラックの間にあるのは、おじさんのバイクだけ。このままでは、おじさんが車とバイクと壁の間に挟まれてしまう……。
必死だった。トラックを止めなければならない。おじさんがペッチャンコの煎餅になる事態は何としても避けなければならない。おじさんが煎餅になってしまえば、私は殺人犯になってしまう……。
トラックのドアを引き開けた。運転席に座る暇はない。両手で思いっきりブレーキを押し下げた。それでもトラックはじりじりと前進する。トラックのバンパーがおじさんのバイクに触れた。ミシミシと音がし始めた。
止まれ! 頼むから止まってくれ!!
おじさんの小さな目は、迫り来るトラックへの恐怖でまん丸に見開かれていた。
まあ、今のところ私には前科はない。後科がつくかどうかはこれからの暮らし方次第である。つまり、トラックは何とか止まってくれた。
冷静さを取り戻したおじさんは静かに言った。
「大道君、トラックはちゃんと止めてくれんとでけんね。まあ、よかたい。何もなかったけん。ばってん、俺のバイクは壊れたごたる。こん修理代だけはあんたに払ってもらわんとでけんね。それでよかろ?」
よかろも悪かろない。すべては私の過失が引き起こしたことである。殺人犯にならなかっただけでもめっけものだ。
「もちろんですけん」
と答えたのはもちろんである。
でも、このおじさん、危機に臨んでこの態度。人格者だったなあ。
と、ここまで運転免許を取って1年あまりである。言い換えれば、私は運転免許取得から僅か1年で、様々なパターンの事故を起こした。起こした事故の記憶は、まだ私の中で生き続けている。
いま、私は無違反ドライバーとは口が裂けてもいえない。だが、長年に渡る無事故ドライバーである。免許証はゴールドだ。交通法規と事故の発生には、私に関する限りさしたる関係はない。
この1年の凝縮された体験がなかったら、いまのゴールド免許は我が手になかったと信じて疑わない私である。