私と朝日新聞 津支局の17 恥ずかしいキャンペーン
いま横浜に来ている。この連載の参考にしようと昔の切り抜きを引っ張り出した。私が記者として初…
いま横浜に来ている。この連載の参考にしようと昔の切り抜きを引っ張り出した。私が記者として初…
私が三重県警を担当した時、県警本部長は佐々淳行さんだった。警察庁のキャリア組で、普通なら三…
警察取材の華は汚職事件だろう。政治家、実業家、高級官僚など日頃権勢をふるって偉そうな顔をし…
三重県警を担当したのはちょうど1年間だった。この間の記憶は甚だ曖昧である。特に時間の前後関…
久しぶりに三重県警の記者クラブに戻って数日後のことだったと記憶する。愛知県と三重県の県境あ…
津での署回りは1年半で卒業した。次は三重県警担当である。 新聞記者2年生になった私は…
署回りとは、事件、事故を追いかけていれば済む仕事ではない。そもそも地方都市の津市、久居市で…
入社から7ヶ月たって、1975年度の入社式と新人研修があり、私も参加した。その年、朝日新聞…
署回り担当とは、管内で発生する事件、事故を取材して原稿にする仕事である。つまり、事件、事故…
私が麻雀という遊びを覚えたのは津支局に行ってからである。大学時代に覚えたという人が多いよう…
津で私は1度引っ越しをしている。 最初に入ったのは、支局のHデスクが事前に探してくれてい…
ある日、津市の我が家に泥棒が入った。 当時は3DKのアパート住まいだった。2階で、玄…
ある日、津署内をぶらついていたら署長室のドアが開いた。顔を出した署長が私を見て 「大…
初めて「特ダネ」というものを書いたのは、津で署回りを始めてしばらくしてからだった。まだ支局…
人は変わる。誰でも変わる。それを進歩というか、堕落というかは評価する人の自由である。そして…
研修最終日の夜、名古屋本社で I 社会部長たち数人が壮行会を開いてくれた記憶がある。立った…
私の大学には、マスコミ学科などなかった。あったとしても、そもそも弁護士志望だった私が選んで…
西鉄を7月31日付で退職した。 8月9日、横浜市の妻女殿の実家に近い産院で長男が誕生した…
朝日新聞社から合格通知が届いたのは7月20日過ぎだった。2次試験で手応えを感じていたとはい…
私は単に頭がいいのか、狡猾と評した方が適切なのか、あるいは一言の元に狡い、陰険と切って捨て…
実に困ったタイミングでの懐妊騒ぎである。思わず、 「ホントかよ?!」 とつぶや…
昨日までは落ちることしか考えていなかった入社試験を、今日からは乗り越えるべき目標にする。ゼ…
結婚生活が始まった。同時に朝日新聞の受験準備も進んだ。 とはいえ、落ちるのを目的にし…
困り果てた。 私は朝日新聞の記者などになる気は全くない。しかし、私を朝日派米少年に押し込…