えびす講が終わった
桐生えびす講が昨日終わった。体力の限界を感じさせながら、一方では私にまだたくましい回復力が…
桐生えびす講が昨日終わった。体力の限界を感じさせながら、一方では私にまだたくましい回復力が…
本日、桐生市の職員に、行政事務のデジタル化を強くお勧めしてきた。いや、私が市職員研修の講師…
起きてはいけないことが起きた。あのトランプが次のアメリカ大統領に返り咲く。地球すべてが暗黒…
半年ほど前、我が家で異変が起きた。電源も入れていない我が家のオーディオシステムのスピーカー…
本日、我が家に救急車が横付けした。119にダイヤルして呼んだのは妻女殿である。といっても、…
妻女殿が退院されて今日は2日目である。遺憾ながら家事は全くダメで、私が全般を引き受けている…
妻女殿が明日退院される。入院日数は初日と明日を入れると71日。実に長期にわたるおつとめであ…
このところやや多忙である。一方で電子出版の準備をしつつ、他方で昨年から始めた「桐生子ども新…
今日は妻女殿の手術の日であった。結論から書こう。施術した医師に 「上手くいきました」…
朝から病院を梯子してきた。後期高齢者の悲しい現実である。 朝一で向かったのは群馬大学…
カテーテルによる妻女殿の大動脈弁狭窄症の治療が延びた。30日に行われる予定だったが、数日前…
今日は足利日赤の受診日だった。主要な目的はMRIで脳の断層画像を撮ることである。 と…
私の人生も晩期に入ったらしい。 私はいま、何故か自分で書いた「私と朝日新聞」を読み直…
妻女殿が入院して、間もなく40日になる。気楽な独り暮らしといえばその通りだが、独り暮らしで…
四日市の長女一家4人が昨日、やって来た。入院中の妻女殿の見舞いが目的である。同時に、旦那の…
妻女殿がカテーテルによる治療を受ける日が決まった。今月30日である。 担当医に呼び出…
いま黒澤明監督の映画を、1本目の「姿三四郎」から年代順に観ている。今日は「影武者」だった。…
「延命治療をするかしないかって先生に聞かれた」 入院中の妻女殿から突然電話がかかって…
妻女殿の入院が1ヵ月延びた。新型コロナによる肺炎が悪化したのではない。新しい病が見つかった…
昨日、長男一家がやって来た。久しぶりに私の顔を見て酒を酌み交わしたい、というのではない。い…
Miさんから電話がかかってきたのは午後3時すぎである。Miさんは、私の「桐生を紡ぐ」という…
私は畳の上では死ねないようである。酔って転倒し、打ち所が悪くて昏睡状態に陥り、そのままあの…
渥美清主演の「男はつらいよ」シリーズ、前48巻+1を昨夜見終わった。これで、我が家に蓄積し…
「桐生を紡ぐ」の出版を知った知人が言った。 「いいね、大道さん。これからは印税暮らし…
私の本が出た。「桐生を紡ぐ」という。245ページで税込み1650円。そう、私の書いた文章が…
独り暮らしも3日目である。妻女殿がいない我が家は、気楽ではある。不自由と言えばいえる。何と…
本日、妻女殿が入院された。前橋日赤である。病名は新型コロナウイルスによる肺炎。 妻女…
肩肘張らず、全身脱力状態で書いているような「らかす」だが、それでもある種の精神力、気力、活…
今日から桐生は夏祭りである。 桐生の夏祭りは、桐生祇園祭が発祥である。始まった年代ははっ…
当たり前、といえば当たり前のことだ。 何が当たり前かというと、私も新型コロナに感染したら…
情けないことに、今日も昨日に続く医者通いである。今日の行き先は泌尿器科。そう、前立腺がんの…
またまた聞き慣れない、というか、初めて聞く病名である。 低異型度異形成(ていいけいど…
このところ、連日小津安二郎監督の映画を見ている。制作年順に並べているので、1929年作の「…
「それはないんじゃないの!」 思わず、しゃがれ声で叫んでいた。昨日、「後期高齢者医療…
医者の指示によれば、私の無言の業は本日午後、解禁されたはずである。そう思って声を出したら、…
トランプが狙撃された。 「アメリカって、やっぱり怖い国だよねえ」 と書こうとし…
我が無言の行も、すでに3日目に入った。この間、ほとんど口をきいていない。我が声帯は順調に治…
あれからほぼ1ヵ月。本日足利日赤に行き、声帯にくっついて悪戯をしている白い組織を採ってきた…
昨日書き上げていたのに、目先の所要に紛れてアップするのを忘れていた。75歳。 …
映画を見ながら焦ることがある。見慣れた、知っているはずの俳優が画面に出ているのに、名前が思…
「オリバー・ストーンが語る もうひとつのアメリカ史」というドキュメンタリーを見ている。見て…
バイデンさん、あんた大統領をお辞めなさいよ、とニューヨークタイムス紙が書いたそうだ。27日…
ご報告していなかったが。昨年、「桐生子ども新聞コンテスト」というのを始めた。小学校3年生〜…
東京都知事選の世論調査の結果が、一昨日の朝日新聞に掲載された。あの書き方からすると、小池お…
このごろ、世の中が変である。いや、世の中がおかしいのは昔からかも知れないが、そのおかしさぶ…
これからお読みいただく原稿は,昨夜いちどは完成したものである。一部をゴチにする、赤字にする…
車を替える。それには、新しく愛車にする車種を決めなければならない。 条件はひとつ。妻女殿…
「私と朝日新聞」の連載に追われて、報告していなかったことがある。 私は車を買い換えた。こ…
日本全国の太陽光発電所から銅ケーブルを盗む犯罪が多発しているらしい。テレビのニュースで何度…
我が家に膨大に蓄積してしまった映画のディスクを整理するため、毎晩映画を見続けていることは何…
1ヶ月半から2ヶ月ほど前から、なんだか喉の内側が腫れているような感じがあった。いずれ治るだ…
やっと終わった、というか、とうとう終わってしまったと書くべきか。 昨年5月、ふと思いつい…
さて、長々と書き継いできた「私と朝日新聞」も、今回をもって終わりとする。最後は雑多な話を順…
さて、桐生での話もほぼ書き尽くしたようである。そろそろ締めに入ろう。 朝日新聞の定年…
記者が取材先に騙されて記事を書いてしまうという珍事が起きた。騙されたのは私である。いや、私…
確か、あのO氏に相談した。有鄰館なら200人ほど入る。ながめ余興場なら600人ほどのはずだ…
頭脳警察のリーダー、故・PANTAが桐生まで遊びに来てくれた。いつのことだったか、記憶にな…
行きつけの床屋で見慣れぬ看板を見た。 「鼻毛脱毛800円」 えっ、鼻毛の脱毛?…
1回目の飲み会に集ったのは12,3人であった。JR桐生駅近くの大衆酒場で、参加費は確か50…
群馬大学工学部の篠塚和夫教授と知り合ったのは、市内のバーで1人飲んでいる時だった。たまたま…
桐生市役所の隣に市民文化会館がある。地上4階、地下1階の建物で、何となくUFOを思わせる奇…
私の記者クラブ改革は、記者間の交流をもっと増やそう、記者同士、もっと仲良くなった方がいい、…
記者クラブに所属すると、毎月クラブ費を支払う。もちろん会社に請求するお金で、記者個人の財布…
記者という仕事は何かと批判を浴びるものである。中でも記者クラブへの批判は根強い。曰く、権力…
当時の経済産業相・海江田万里氏が桐生に来たのは2010年12月13日のことだった。マフラー…
佐藤貞巳さんのことを書こう。 佐藤さんの現職は看板屋さんである。だが、看板屋さんとし…
桐生の鍛冶屋、小黒定一さんとの縁を繋いでくれたのは、当時群馬大学医学部の学生だった斉藤悠さ…
亀ちゃんとの仲をもう少し書こう。 桐生着任早々の私を指して 「あの、朝日の大道…
さて、亀山市長に戻ろう。 亀山市長と私の仲が、最初の定例記者会見で遠いものになったこ…
政権交代選挙の取材で面白いじっちゃんに出会った。知り合ったのは、石関候補の桐生事務所だった…
自民党が週銀選挙で大敗。民主党に政権の座を明け渡したのは2009年8月のことである。いま思…
一騒動あったのは5月26日のことである。この日、宮古市から試験焼却用の瓦礫、4.3トンが桐…
東日本大震災の後始末、といえば表現は悪いが、どのような災害が起きようと、その後も人は生きね…
桐生市議会に、庭山由紀という議員がいた。反骨精神の固まりのような女性で、頭脳は明晰。私が見…
前回までが、私が放射性物質取材を始めるにあたり、勉強したことのほとんどである。ほかにも2,…
第6章 原発事故放射能にびくともしない人体 1990年、東京で日・ソ放射線影響研究講…
第4章 低線量の危険と発がん機構 一番気になる放射線被曝と発がんとの関係である。放射…
第3章 人体は放射線に弱くて強い 放射線の人体への影響。 X線が身体の組織に当たる…
第2章 人体への影響 放射線の影響について、「直線しきい値なし仮説」というものがある…
暗くなったら寝るしかない日々が続いたのは、福島第一原子力発電所の事故のためである。3.11…
2011年3月11日午後2時46分、突然地鳴りがしたかと思うと、家全体がガタガタと激しく揺…
事件は結局、両親が桐生市と群馬県を相手取って損害賠償の訴訟を起こし、確か最後は和解が成立し…
この野郎、殴りつけてやろうか、と思ったことがある。6年生の女児が自殺をした小学校の校長が記…
お断りしていなかったが、桐生での朝日新聞記者としての7年間を編年体で書くと原稿の焦点がぼや…
取材というのは、まず 「これは記事になる」 という話をどこかで聞き込むことで始…
前回を引き継げば、松井ニットとのお付き合いの話になるが、話が長くなるので後まわしにすること…
「桐生はいかがですか?」 と私に問いかけたのは市役所の広報課長、Yaさんだった。ここ…
桐生市では、確か毎月、市長の定例記者会見が開かれる。私が初めて定例会見に出た日のことだから…
そろそろ仕事の話に入ろう。 私はスーツが嫌いである。男の魅力を引き出す道具といわれる…
さて、前回積み残した怪文書事件を説明しておこう。 当初私が耳にしていたのは、私の前任…
桐生にかかわる話は直接「いま」につながるため多岐にわたる。まず住まいのことから済ませておこ…
2009年3月31日、私は桐生に引っ越した。定年後再雇用された記者人生の始まりである。 …
朝日新聞東京本社を離れる前に、もうひとつだけ書いておかねばならないことがある。 たば…
「大道さん、桐生ですって?」 私の桐生生きが決まると、いろいろな人が声をかけてきた。…
朝日新聞で35年働いた私に、60歳の定年が目前に迫った。 「日本の年金問題を解決する…
①、②と、私が思い描いていた定年後構想を書いた。そんなことを考え、問われれば人に話していた…
②大学生になる 私は大学生時代、学校での勉強はあまりしなかった。そんな時代だった。 入…
60歳が迫ってきた。さて、60歳になって定年になったら私は何をするのだろう? いくつかの…
定年まで1年半を残す頃、根本的な改革はできないまま、私は朝日ホール総支配人を外れた。コンテ…
朝日新聞は、頭が良すぎるバカが寄り集まっていると書いた記憶がある。私なんぞが逆立ちしてもと…
総支配人時代の想い出を、あといくつか書いておきたい。 浜離宮朝日ホールには4台のフル…
「朝日新聞の企業年金が欲しければ、毎月14万9000円を納めよ」 という通知が突然来…
さまザなまことを考えた。 最後に行き着いたのがライツビジネスである。浜離宮ホールで催すコ…
親のすねをかじっている間は気楽なものだが、独立するとなれば金がいる。それが世の常識である。…
とうとう私は飛んでもないことを考え始めた。ホールの収支をせめてトントンに、できれば黒字にし…
ここまでお読みいただいた皆様、ありがとうございます。読んできて、どのようなご感想をお持ちで…
さて、研修が役にたったのかどうか、とにかくPremium meets Premiumは順調…
2006年秋、かのEric Claptonの来日公演があった。そのころ、彼はほぼ1年おきに…
在任中のホールのこぼれ話はほぼ書き尽くした。私のことだからもっと面白い話を忘却しているかも…
室内楽専門の音楽ホールの支配人でありながら、私はクラシックファンが苦手だった。好きではなか…
総支配人とはいえ、私は有楽町朝日ホールにはあまり目を向けないサボり専門だった。 1つ…
ホールの運営が何となく軌道に乗ったところで、運営とは直接関係がないエピソードをいくつかご紹…
ホールの事務室に、実に困った人がいた。というか、ホール事務室の空気を1人でドンヨリとした重…
さて、ホールの運営が軌道に乗った。私が描いた再建策が順調に動き始めた。 それはよい。それ…
朝日新聞とは実に不思議な事業体である。ホール運営の改革を進めながら、それを如実に体験した。…
浜離宮朝日ホールとしては開闢以来の大ばくちに、私は勝つことができた。無論、私だけの手柄では…
やってはみるものである。 マスメディアである朝日新聞に記事を掲載すること、552席し…
2006年度が始まった。私が支配人として買い取りを決めた60前後の朝日新聞主催公演で、私の…
一筆啓上火の用心おせん泣かすな馬肥やせ ひときわ優れた手紙文として習ったのは小学生だ…
さて、前回までで、私のホール改革案をご紹介する準備が整った。いよいよ本論である。 4…
さて、ホール経営である。とりあえずスタート地点まではたどり着いたような気がするものの、これ…
経理をごまかさず、本当に経費を減らす手法はないものか? あれこれ考えていた私は、1つのこと…
人間とは暇をもてあますものである。もてあました暇は、ろくでもないことに使われることが多い。…
私の前任者はO君であった。経済部の同僚で、あのキヤノンのHa氏と同じ麻布高校の出身。大学は…
朝日ホール総支配人時代の話は、2019年はじめに連載した。よってこれからしばらくは、その時…
本来なら、今回から「朝日ホール総支配人」の話が始まるはずである。だが、今回もタイトルは「デ…
2004年の終わり頃だったと記憶する。デジキャスに勤務する私に、朝日新聞電子電波メディア局…
企業という人の集まりには、所属する構成員を一定の色に染め上げる魔力があるのだろうか? 朝日…
英語の映画の台詞を、英語で書けないか? いったいどうしてそんなことを考え出したのか、…
デジキャスのHPは毎週1本の原稿をアップすることを原則としていた。このペースが途切れてはい…
さて、「シネマらかす」を私はどう書いたか。 最初は、映画選びである。もっとも、最初の…
新聞記者とは、取材をして原稿を書くものである。取材のきっかけは事件、事故の勃発、記者会見、…
さて初期の頃、私はどんな原稿を書いていたのか? それを知ろうと、「らかす日誌」の一番古い原…
デジキャスの内側のことにも触れておこう。 初代社長はテレビ朝日のマルチメディア局長だ…
オンエアされたデジキャスのデータ放送を見た瞬間、 「これは売ってはいけない商品だ」 …
デジキャスはBSデジタル・データ放送局であるとともに、データ放送用のコンテンツをBMLで制…
日本でBSデジタル放送が始まったのは2000年12月1日午前10時である。 その日、私た…
楽しくて痛いラスベガス出張から帰国した私は、再び営業活動に力を入れた。16枠を売りきらねば…
死ぬような思いでトイレを出てきた私を、同僚が、手持ちぶさたそうに待っていた。彼は、私を見る…
なるほど。ああいうのをウンの尽きというのか。 私がラスベガスで陥ったみじめな状況を、…
営業に動き回る日々を送っていた2000年4月、突然私にラスベガス出張の命令が朝日新聞から下…
デジキャスが開局する少し前、私はテレビ朝日のOさんに呼ばれた。 「大ちゃん、君はどん…
デジキャス=デジタルキャスト・インターナショナルが生まれたのは、2000年2月3日である。…
私の出向が言い渡される少し前、データ放送会社の社長が決まった。テレビ朝日のO氏である。私と…
マーケットリサーチのチームは、私たち朝日新聞組み2人に加えて、テレビ朝日、ABC、名古屋テ…
デジタルデータ放送局の設立準備。具体的にいえば、そのようなメディアを使いたいという企業が世…
もうひとつ仕事ができた。デジタル・データ放送局設立の準備である。 ご存知の通り、BS…
朝日新聞電子電波メディア局のなんとか部長とは、なんと気楽な稼業か、と呆れていらっしゃる方々…
テレビ大分に行くには大分空港まで飛行機で飛ぶ。大分空港は国東半島にある。テレビ大分がある大…
山口朝日放送に行くには、宇部空港で飛行機を降りることになる。宇部市から山口市までは結構距離…
さて私は、電子電波メディア局のなんとか部長になった。前回書いたように、与えられた仕事は朝日…
経済部におさらばする時がやって来た。記憶を整理すると、1998年ではなかったかと思う。それ…
経済同友会は毎年夏、軽井沢でセミナーを開いていた。会員である経営者の勉強会である。我々財界…
記者には様々なタイプがある。 記者会見で質問しない記者がいる。このタイプは2つに分か…
〈ポーランド = あれこれ〉 ワルシャワの町を見る暇がない。取材で人に会いに行く車の窓…
ここから先はワルシャワでパソコンに入力しながら送信の時間がなく、帰国後に送ったメールを元に…
今回は、中欧取材旅行報告の山場であります。名付けて「日欧文化比較論」。もちろん、掘り下げた…
【10月13日】 6時前に目が覚めた。メールを書き、荷物をまとめ、7時半頃朝食を取りに町…
【10月12日】 昨日の続き。 このホテルは、ゴクミ(国民的美少女=後藤久美子)とアレ…
私は、ブダペストで経団連の一行から離れ、独自取材の旅を始めた。 「折角旧東欧に行くの…
【10月10日】 まず、ルーマニアで書き残したことを少々。 ここもパトカーの先導で、バ…
【10月8日】 P.S. (解説) P.S.=追伸 迎賓館のトイレットペーパーは…
【10月8日】 7日は午前5時半起きだった。6時にラゲッジダウンして、7時にホテルを出て…
【10月6日】 ドレスデンのホテルから、バスで南西に走り、フォルクスワーゲンの工場があ…
【10月4日】 まず、昨日。 午前中、プラハ城、カレル橋を見学。ゴシック様式の壮大…
財界担当は2〜3年続いたと思う。経済部記者としての最後の担当になり、50歳にして取材現場か…
平岩さんの会長室の執務机の上には、常に10数冊の本が平積みしてあった。恐らく、これから読も…
もう一度平岩外四さんに触れておきたい。東京電力会長で、第7代経団連会長だった平岩さんである…
歴代の経団連会長を並べてみよう。 初代:石川 一郎 (日産化学工業社長) 第2代:…
経団連は毎年夏、御殿場の経団連ゲストハウスで夏のフォーラムを開いていた。会長をはじめとした…
少し矛先を変える。 財界を担当している間、私のたまり場は神田取材センターだった。 …
財界を担当して、最大の仕事は経団連会長人事だったのかもしれない。いろいろと経済団体の提言な…
抜かれた。抜かれたら、追いかけて記事を書かなければならない。だが、外はまだ真っ暗。草木も眠…
豊田章一郎さんからバトンタッチを受けて第9代経団連会長になったのは、新日鐵会長の今井敬さん…
経団連会長の任期は1期2年である、豊田章一郎さんが2期目に入った1996年からは、誰が次の…
財界を取材する上で、企業の政治献金の話は是非ものである。 経団連は長い間、政治献金の…
追い出しコンパ当日。 私が提案し、私が企画し、私が動き回って実現した宴会である。進行…
勢いに乗って、豊田章一郎さんの話を続ける。 豊田章一郎さんが、平岩外四・東京電力会長…
前回は、豊田章一郎経団連会長の発言を批判した記事について書いた。新聞記者には批判精神は是非…
規制緩和が当時の流行語だったことは前回書いた。そんな時勢柄、経済団体の記者会見では、規制緩…
私は財界担当になった。取材対象は、経済団体連合会(経団連)、日本経営者団体連盟(日経連)、…
経済部長は約束通り、6ヵ月で私を経済部に呼び戻した。新しい担当職場は、再び建設省だった。 …
私が記事審査室員になったのは10月。半年の約束だから、翌年3月までのおつとめだ。そう思って…
「大道君、記事審査室に行ってくれないか?」 と経済部長に言われたのは、ウイークエンド…
朝日新聞社のコアタイムは、9時〜17時、10時〜18時の2本立てだった。職場の実情に応じて…
①ウイークエンド経済編集部にはデスクが2人いて、週替わりでフロント面を担当した。 ②…
先日Amazonに注文した栗原さんと赤池さんの本が届いた。「お医者さんの食卓」(朝日新聞社…
ウイークエンド経済時代の話を書いている最中に、「ウイークエンド経済」を論じた文章にぶつかっ…
おかしなウイークエンド経済部員がいた。いや、おかしいというのは私の主観である。他の人から見…
栗原さんと赤池さんは私が発掘したコラムニストである。当然私が担当する。毎週締め切りまでに原…
栗原さんを初めて訪ねたのと並行して、私は赤池学さんとも会った。I 編集長に渡された「メルセ…
次は「食」である。八重洲ブックセンターで私は、これは、と思える2、3冊の本を買った。その中…
当時のウイークエンド経済の編集長をIさんといった。東大卒。私などとても及ばないほど頭のいい…
人の記憶とは不思議なものである。古いことはよく覚えているのに、新しくなると徐々に記憶が混乱…
さて、3度目となった私の東京での仕事は、悲惨な話から始めなければならない。私が東京に帰任し…
申し訳ない。またまた「2度目の東京経済部」に舞い戻った。書きわすれていたことを思い出したの…
2度目の名古屋勤務は3年半の長きにわたった。長男はこの間に高校を卒業し、みごとに1浪の身と…
それにしても、である。加藤東海銀行会長に対する周りの評価は驚くほど低かった。 「だが…
年末に次女一家がやって来た。ファミリーレストランで一緒に食事をするだけの短い滞在だった。両…
そろそろ「ウイークエンド経済」におさらばしようと思っていたら、 「ああ、こんなことも…