私と朝日新聞 北海道報道部の11 札幌では風邪をひかず、東京で風邪をひいた話
何度か東京に出張した。そのたびに、人の感覚の不思議さを思った。 札幌は大都会だと言わ…
何度か東京に出張した。そのたびに、人の感覚の不思議さを思った。 札幌は大都会だと言わ…
仕事の話を続けよう。 道庁を担当して半年ばかり過ぎたころ、私は「道内経済面」を立ち上げた…
まだ道庁担当だったから、札幌赴任から半年もたっていない時のことである。北海道の自民党が集会…
あれは選挙の取材だった。季節は真冬。厳寒期の2月だったと思う。私は池田ワインで有名な池田町…
私が札幌にいた1985年から87年という時期、北海道は不況のどん底にあった。造船が振るわな…
Muの話を続ける。 ある朝、Muは私の顔を見るなりいった。 「Ma、あいつはひ…
前回ご登場いただいた、政治部から来たデスクをMuという。私の着任時は、政治部から来たデスク…
横路知事がらみのの話を続ける。 1987年、横路知事は再選を目指して道知事選に立った…
横路知事に同行して、函館に行ったことがある。知事が函館の若手経営者と懇談する。その会合は公…
実は、札幌以降のことはほとんど記憶に頼るしかない。そのころから自分で書いた記事の切り抜きを…
札幌のことは、「グルメらかす」で書いたことがある。これからの記述は、あの時書いたこととダブ…
ほぼ週1のペースで柔道を楽しみ、時にはおかしな釣りに出かけ、取材をして特ダネで1面トップを…
役所内を廊下トンビする。官庁担当記者の毎日である。聞き出したい話を持っている官僚氏、暇そう…
建設省担当時代を思い出すため、当時の切り抜きを見ていて、1つの記事が目にとまった。「デスク…
新聞記者にも、ほんのちょっとした役得はある。私が経験した役得は、どうでもいいような会話から…
私を柔道に引きずり込んだ I さんは面倒見のいい先輩だった。恐らく人脈も広く、早稲田大学の…
建設省には省内誌があった。誌名は忘れたが、そこから声がかかった。 「大道さん、何か原…
土地・住宅問題に関わる記事を沢山書いたからだろうか、住宅局の官僚諸氏とはすっかり仲良くなっ…
さて、そろそろ仕事の話に移ろう。 住宅問題は社会問題であるだけでなく、相変わらず私の…
通産省を1年担当すると、私は建設省担当を命じられた。それまで経済部に建設省担当はいなかった…
Saさんは私が通産省担当になった当時、貿易局総務課の課長補佐だった。東大卒が掃いて捨てるほ…
「東京経済部の3 またまた引っ越しました」で書いたように、のちに横浜市鶴見区の義父の敷地に…
通産省担当になって、夜回り取材はほぼ習慣となっていた。昼間は通産省内を廊下トンビして取材(…
とんでもない事件が起きたのは、私が通産省担当になって3ヶ月もたたない1982年6月のことだ…
さて、私は通産省担当としてどんな仕事をしたのか。 スクラップをめくると、マクロ経済の動き…
「大道君、君は記者会見で質問してるかね」 夜の遅い時間、会社の経済部に顔を出した私に…
私が通産省担当になった1982年4月、時の首相は鈴木善幸氏だった。通産大臣は安倍晋太郎氏で…
ちょっと脇道に逸れる。私の住まいである。 浦安に引っ越した我がファミリーは、しばしば…
東京経済部で最初の担当は通商産業省(現経済産業省)であった。2度の石油危機を乗り越えて、日…
前回、 「一路東京を目指した」 と書いたが、実際に目指したのは東京を通り抜けた…