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らかす日誌

私と朝日新聞 事業本部の2 晴釣雨読の日々を思い描いた

60歳が迫ってきた。さて、60歳になって定年になったら私は何をするのだろう?いくつかの構想は持っていた。①晴釣雨読私は30代になった頃から海釣りを趣味するようになっていた。切っ掛けは単純である。幼かった我が長男に、妻女殿の父、私の義父が釣り...
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私と朝日新聞 事業本部の1 折り紙で、3次元の、ホントに飛ぶスペースシャトルを作った人がいた!

定年まで1年半を残す頃、根本的な改革はできないまま、私は朝日ホール総支配人を外れた。コンテンツのマルチユース、ライツビジネスへの参画という2本柱でホールを運用黒字化し、朝日新聞本体から分離独立するという大望に後ろ髪を引かれる思いが残ったが、...
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私と朝日新聞 朝日ホール総支配人の26 売れ残ったチケットをいただきたいのですが……

朝日新聞は、頭が良すぎるバカが寄り集まっていると書いた記憶がある。私なんぞが逆立ちしてもとても太刀打ちできそうにない秀才、俊才が雲霞のごとくおり、議論をしても何度も打ち負かされた。そんな会社である。それなのに、いまの朝日新聞の体たらくはどう...
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私と朝日新聞 朝日ホール総支配人の25 ホールのピアノあれこれ

総支配人時代の想い出を、あといくつか書いておきたい。浜離宮朝日ホールには4台のフルグランドピアノが備わっていた。スタインウェイ(Steinway & Sons)が3台、ベーゼンドルファー(Bösendorfer)が1台である。ピアノという楽...
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私と朝日新聞 朝日ホール総支配人の24 朝日新聞の給与体系の話

「朝日新聞の企業年金が欲しければ、毎月14万9000円を納めよ」という通知が突然来たのも、総支配人時代だった。定年まで確かあと4年ほどを残すようになった時期である。朝日新聞に企業年金があることは知っていた。しかし、仕組みについては全く知らな...
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私と朝日新聞 朝日ホール総支配人の23 夢は夢のまま終わったが……

さまざなまことを考えた。最後に行き着いたのがライツビジネスである。浜離宮ホールで催すコンサートをCD、DVD(いまならBlu-ray、と考えるところである)にして販売する。音楽というコンテンツは権利関係が複雑である。私も全容は知らないが、ミ...
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私と朝日新聞 朝日ホール総支配人の22 朝日ホールの独立を志す

親のすねをかじっている間は気楽なものだが、独立するとなれば金がいる。それが世の常識である。中でも、朝日ホールは朝日新聞という親を持つ。この親は、なかなかに頑固である。子どもの主張に耳を貸し、「ああ、いいよ、いいよ。お前の思う通りにおやり」と...
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私と朝日新聞 朝日ホール総支配人の21 ホールの根本的改革を考え始めた

とうとう私は飛んでもないことを考え始めた。ホールの収支をせめてトントンに、できれば黒字にしたいと思い始めたのである。黒字といっても、あの11億数千万円を全部稼ぎ出してやろうというのではない。運営黒字、つまり私が就任した当初、3億3000万円...
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私と朝日新聞 朝日ホール総支配人の20 朝日いつかは名人会を立ち上げた

ここまでお読みいただいた皆様、ありがとうございます。読んできて、どのようなご感想をお持ちでしょうか?ひょっとして「あれだけ嫌がってついた職にもかかわらず、あんた、結構楽しんだんじゃないの?」ピンポーン! そう、いつの間にか私は、朝日ホール総...
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私と朝日新聞 朝日ホール総支配人の19 世界最高の舞台用音響機器=650万円を勝ち取った!

さて、研修が役にたったのかどうか、とにかくPremium meets Premiumは順調に滑り出した。これから毎年2回、7日連続のポップス公演をやる。であれば、ますます充実したものにしていかなければならない。やがて、予算請求の時期が来た。...
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私と朝日新聞 朝日ホール総支配人の18 研修で、Eric Claptonのコンサートを最前列で楽しんだ

2006年秋、かのEric Claptonの来日公演があった。そのころ、彼はほぼ1年おきに来日し、すばらしい音楽を聴かせていた。「来るか。コンサートに行こうかなあ」とボンヤリ考えていた。そんなとき、「ねえ、ホールのみんなでEric Clap...
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私と朝日新聞 朝日ホール総支配人の17 室内楽専用ホールでポップスを始めた!

在任中のホールのこぼれ話はほぼ書き尽くした。私のことだからもっと面白い話を忘却しているかも知れないが、それはまあ仕方がない。ということで、本筋に戻る。しつこいようだが、私はクラシック音楽をあまり好まない。そんな頭でいつものようにボンヤリして...
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私と朝日新聞 朝日ホール総支配人の16 私はクラシック音楽のファンが嫌いである

室内楽専門の音楽ホールの支配人でありながら、私はクラシックファンが苦手だった。好きではなかった。嫌いだった。様々な表現が出来るが、真実はこの3つを混ぜて3で割ったようなものであった。私がクラシック音楽になじめないことは、この「総支配人」シリ...
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私と朝日新聞 朝日ホール総支配人の15 PANTAと知り合いになった

総支配人とはいえ、私は有楽町朝日ホールにはあまり目を向けないサボリ専門だった。1つには、有楽町朝日ホールではあまり朝日新聞主催の公演は行わず、ほとんどが貸しホールとして動いていたことがある。JR有楽町駅すぐ近くという立地の良さもあり、稼働率...
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私と朝日新聞 朝日ホール総支配人の14 皇室の方々の御先導役を務めさせられた

ホールの運営が何となく軌道に乗ったところで、運営とは直接関係がないエピソードをいくつかご紹介したい。「今度、美智子妃がうちのホールにおいでになるそうです」そんな報告を担当者から聞いたのはいつだったろう。へー、そんなこともあるのか。でも、考え...
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私と朝日新聞 朝日ホール総支配人の13 職場のがん細胞を剔抉した

ホールの事務室に、実に困った人がいた。というか、ホール事務室の空気を1人でドンヨリとした重苦しいものにする人がいた。女性である。彼女は、朝日新聞から朝日建物管理に出向中であった。考えみてみればひどい扱いようで、朝日新聞の社員が朝日新聞の社員...
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私と朝日新聞 朝日ホール総支配人の12 私、クレーム処理係になりました

さて、ホールの運営が軌道に乗った。私が描いた再建策が順調に動き始めた。それはよい。それはよいのだが、不思議なことに気がついた。私、会社に出てホール事務室の私の椅子に座ると、何にもやることがないのである。席に座ると、まずパソコンを立ち上げる。...
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私と朝日新聞 朝日ホール総支配人の11 朝日新聞という不思議な会社

朝日新聞とは実に不思議な事業体である。ホール運営の改革を進めながら、それを如実に体験した。事業をするとき、最も気にしなければならないのは最終的な損益である。事業総体として赤字を出し続ければ、いずれは事業を続けられなくなる。そのため、伸びてい...
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私と朝日新聞 朝日ホール総支配人の10 50人超が参加した予算10万円の忘年会

浜離宮朝日ホールとしては開闢以来の大ばくちに、私は勝つことができた。無論、私だけの手柄ではない。私が示した運営方針を受け入れ、その実現に向けて様々な知恵を出して動き回ってくれたみんなの力である。やればできる。そんな自信がみんなのうちに育って...
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私と朝日新聞 朝日ホール総支配人の9 超一流のピアニスト、ツィメルマンが浜離宮に!

やってはみるものである。マスメディアである朝日新聞に記事を掲載すること、552席しかない小さなホールでのコンサートであることなど、様々な条件を提示しているうちに、ツィメルマンの日本公演を仕切る音楽事務所は値引きに応じてくれた。いや、話をした...
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私と朝日新聞 朝日ホール総支配人の8 1ステージ1200万円のピアニスト

2006年度が始まった。私が支配人として買い取りを決めた60前後の朝日新聞主催公演で、私の方針が有効かどうかが試される1年である。そして、私の根性を試される年でもあった。根性——それは、こんな話である。「大道さん、これ、買いましょうよ」私の...
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私と朝日新聞 朝日ホール総支配人の7 あのー、音がずれているように聞こえたんですが……

一筆啓上火の用心おせん泣かすな馬肥やせひときわ優れた手紙文として習ったのは小学生だったろうか、それとも中学に進んでいたか。確かに、たったこれだけの文章で伝えたいことをすべて表現するとは、恐るべき手練れである。いずれにしても、名文とは簡にして...
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私と朝日新聞 朝日ホール総支配人の6 ホールの経営改革案を示した

さて、前回までで、私のホール改革案をご紹介する準備が整った。いよいよ本論である。4月から始まる2005年度の朝日新聞社主催公演は、私が総支配人に就任するまでにすべて決まっていた。公演の仕入れとはその程度のスピードで行われるのものである。とい...
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私と朝日新聞 朝日ホール総支配人の5 ホール経営改革のヒント

さて、ホール経営である。とりあえずスタート地点まではたどり着いたような気がするものの、これから何をしたらいいのか?私は朝日ホールの先輩支配人を訪ねようとは思わなかった。訪ねてみても、ホールを現状に追いやった人々ばかりなのである。彼らにたいし...
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私と朝日新聞 朝日ホール総支配人の4 世界で最も響きが美しい室内楽専用ホール

経理をごまかさず、本当に経費を減らす手法はないものか? あれこれ考えていた私は、1つのことを思いついた。ポスター作りの内製化である。キヤノンも出資するデジキャスにいたことはすでにご報告した。キヤノンはプリンターを作る会社である。そこに大判プ...
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私と朝日新聞 朝日ホール総支配人の3 ごまかし決算をやめよう!

人間とは暇をもてあますものである。もてあました暇は、ろくでもないことに使われることが多い。ホールの事務室に毎日通うようになった私は、おおむね暇であった。何しろ、ホール運営なんてやったことがないし、クラシック音楽なんて関心の外にある。しかも、...
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私と朝日新聞 朝日ホール総支配人の2 1年間の赤字が11億5000万円だと!

私の前任者をO君といった。経済部の同僚で、あのキヤノンのHa氏と同じ麻布学園の出身。大学は確か一橋である。父は日本経済新聞社の社長を務めた。いわゆる御曹司で、だからだろうか、自らチェロを弾く。クラシック音楽にも造詣が深いはずだ。私とはまるで...
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私と朝日新聞 朝日ホール総支配人の1 なんで私がホールの支配人に?

朝日ホール総支配人時代の話は、2019年はじめに連載した。よってこれからしばらくは、その時の原稿をコピペで再利用する。読み継いでいただいている読者の方々に2019年の原稿を探す手間をおかけしないためである。と書けば親切めくが、大半の理由は、...
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私と朝日新聞 デジキャスの18 「らかす」の誕生

本来なら、今回から「朝日ホール総支配人」の話が始まるはずである。だが、今回もタイトルは「デジキャス」となった。私は、朝日ホール総支配人の仕事をしながら、密かにデジキャスの仕事もしていたからだ。デジキャスのHPに載せる原稿を書き続けていたので...
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私と朝日新聞 デジキャスの17 デジキャス勤務が終わりを迎えた

2004年の終わり頃だったと記憶する。デジキャスに勤務する私に、朝日新聞電子電波メディア局長から電話が来た。すぐにピンと来た。人事異動である、朝日新聞に戻ってこいというのに違いない。そのころデジキャスは岐路に立たされていた。私が2000年1...
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私と朝日新聞 デジキャスの16 キヤノン組と肝胆相照らした

企業という人の集まりには、所属する構成員を一定の色に染め上げる魔力があるのだろうか? 朝日新聞に長年勤めれば何となく朝日色になり、キヤノンの社員はキヤノン色に、富士通は富士通色に、日立は日立色にと、染め分けられるのだろうか? だったら、個性...
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私と朝日新聞 デジキャスの15 英語の台詞を書き出し始めた

英語の映画の台詞を、英語で書けないか?いったいどうしてそんなことを考え出したのか、よく分からない。何度も書いたように、私は生まれ故郷の福岡県大牟田市の方言と、標準語の双方を操るバイリンガルではある。それに英語を加えたトリリンガルになりたいと...
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私と朝日新聞 デジキャスの14 「シネマらかす」あれこれ

デジキャスのHPは毎週1本の原稿をアップすることを原則としていた。このペースが途切れてはいけない。私は常に、原稿のストックを5本持つように心がけた。5本のストックを維持するため、毎週1本、新しい映画を書く。なかなかに酷な作業である。しかし、...
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私と朝日新聞 デジキャスの13 シネマらかすの書き方について

さて、「シネマらかす」を私はどう書いたか。最初は、映画選びである。もっとも、最初の数本はすぐに決めた。・Let It Be=The Beatlesと同世代である以上、書かざるを得ない。華氏911=アメリカの大統領選挙、アホブッシュに関心があ...
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私と朝日新聞 デジキャスの12 日誌のネタに困ったのです

新聞記者とは、取材をして原稿を書くものである。取材のきっかけは事件、事故の勃発、記者会見、記者クラブに配られた広報資料は当然として、雑談の中でひらめいたインスピレーション、日頃から持ち続けている問題意識が結実したものなど様々である。しかし、...
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私と朝日新聞 デジキャスの11 どんな工夫をしたらWeb用の原稿が書けるのか?

さて初期の頃、私はどんな原稿を書いていたのか? それを知ろうと、「らかす日誌」の一番古い原稿を取り出してみた。原稿が多すぎて、最古の原稿に行き着くのに5分ほどかかった。読者の皆様にそんなお手間をかけるに忍びなく、ここにコピペする。✖️   ...
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私と朝日新聞 デジキャスの10 「らかす」の現形が生まれた

デジキャスの内側のことにも触れておこう。初代社長はテレビ朝日のマルチメディア局長だったOさんだった。Oさんと私、それに朝日新聞から来たKo君は開局前からの知り合いである。この事業をどうするか、よく語り合った。ある日私は、ふと言わずもがなのこ...
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私と朝日新聞 デジキャスの9 私は詐欺師にはなりたくなかった

オンエアされたデジキャスのデータ放送を見た瞬間、「これは売ってはいけない商品だ」と思ったことはすでに書いた。自分が売る商品に確信が持てなければ営業は出来ない。口八丁手八丁に頼って粗悪品を売り込むのは詐欺である。私は詐欺師にはなりたくない。だ...
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私と朝日新聞 デジキャスの8 ローカル局の若手たちと親しくなった

デジキャスはBSデジタル・データ放送局であるとともに、データ放送用のコンテンツをBMLという記述言語で制作する制作会社でもあった。BML制作組の棟梁は、キヤノンから来たあのHa氏である。彼と一緒に在京テレビ局を回った。系列を超えてデジキャス...
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私と朝日新聞 デジキャスの7 売らねばならない商品への自信をなくした

日本でBSデジタル放送が始まったのは2000年12月1日午前10時である。その日、私たちデジキャス一同は会社のテレビの前に集まり、固唾を飲んで10時を待った。そのころ、営業局にはスーツ、ネクタイ姿の社員はほとんどいなかった。まだ局制を敷く前...
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私と朝日新聞 デジキャスの6 私が営業局長に就任した

楽しくて痛いラスベガス出張から帰国した私は、再び営業活動に力を入れた。16枠を売りきらねばならない。デジキャスはBS放送の933チャンネルを使った。ここでデータ放送を流すには、まずBMLで書いたコンテンツがいる。この枠を使いたいというお客様...
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私と朝日新聞 デジキャスの5 ラスベガスとモルヒネと腰痛と

死ぬような思いでトイレを出てきた私を、同僚が、手持ちぶさたそうに待っていた。彼は、私を見るなり心配そうな声でいった。「どうしたんだ、えらく青い顔をしているが」   「いや、中でさ、本格的なぎっくり腰になっちゃって……」   「そんなに悪いの...
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私と朝日新聞 デジキャスの4 ラスベガスで腰痛が悪化した!

なるほど。ああいうのをウンの尽きというのか。私がラスベガスで陥ったみじめな状況を、時間を経て振り返っての感想である。痛い思いをし、苦しみ悶えたのは私自身であったのに、いま思い起こすと、腹の底から大笑いしてしまいそうになる。悲惨さと笑いとは、...
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私と朝日新聞 デジキャスの3 サンノゼに行った

営業に動き回る日々を送っていた2000年4月、私にラスベガス出張の命令が朝日新聞から突然下った。すでにデジキャスの社員になっている私に、朝日新聞が出張命令を出すとは、いったいどういうことだ? とも思うが、未踏の地、歓楽の都、ラスベガスに社費...
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私と朝日新聞 デジキャスの2 デジキャスの営業担当になった

デジキャスが開局する少し前、私はテレビ朝日から来た社長、Oさんに呼ばれた。「大ちゃん、君はどんな仕事をする?」そうなのだ。デジキャスに記者の仕事はない。さて、私はこのデータ報道局で何をするのだろう?「どんな仕事がありますか?」「うん、まず総...
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私と朝日新聞 デジキャスの1 デジキャスが始動した

デジキャス=デジタルキャスト・インターナショナルが生まれたのは、2000年2月3日である。前にも書いたが、日立製作所、富士通、キヤノンが5億円ずつ、さらにエヌ・ティ・ティ移動通信網、さくら銀行、フレックスが各1億円、東日本電信電話が6000...
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私と朝日新聞 電子電波メディア局の8 大道さん、あんたはどうなんだ?

私の出向が言い渡される少し前、データ放送会社の社長が決まった。テレビ朝日のO氏である。私と同僚のKo君は、「データ放送に最も詳しいのは我々2人だ。ここはO氏に会い、データ放送の仕組み、可能性について、酒を飲みながら話をしなければならない」と...
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私と朝日新聞 電子電波メディア局の7 電子電波メディア局次長にご意見申し上げた話

マーケットリサーチのチームは、私たち朝日新聞組2人に加えて、テレビ朝日、ABC、名古屋テレビなどからも人が集まり、総勢10人ほどいた。手分けをして約200社の企業を回り、感触を探った。さて、新聞記者であった私は市場調査などやったことがない。...
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私と朝日新聞 電子電波メディア局の6 ハイビジョンと軍事

デジタルデータ放送局の設立準備。具体的にいえば、そのようなメディアを使いたいという企業が世の中に存在するかどうかを調べることだった。そんな市場が果たして日本にあるのか。市場調査をするには、事前の準備がいる。まず、デジタルデータ放送とは何かを...
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私と朝日新聞 電子電波メディア局の5 デジタルデータ放送局に関わった

もうひとつ仕事ができた。デジタル・データ放送局設立の準備である。ご存知の通り、BSデジタル放送が日本で始まったのは2000年12月1日である。この日に向けて朝日新聞は、この電波を利用したデータ放送局の開局を目指していた。動画は流れない。文字...
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私と朝日新聞 電子電波メディア局の4 系列局の経営分析に取り組んだ

朝日新聞電子電波メディア局のなんとか部長とは、なんと気楽な稼業か、と呆れていらっしゃる方々も多かろう。確かに、ただ役員会議に出席したあとは宴席に連なって酔っていればいい。各局は年に5〜6回役員会を開くから、3つのテレビ国を担当した私は1年間...
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私と朝日新聞 電子電波メディア局の3 テレビ大分と大分の話

テレビ大分に行くには大分空港まで飛行機で飛ぶ。大分空港は国東半島にある。テレビ大分がある大分市までは、別府湾沿いにぐるりと遠回りして車で行くか、ホバークラフトで別府湾を直進するか、の2つの道がある。どう考えても、直線的に目的地に向かうのが合...
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私と朝日新聞 電子電波メディア局の2 山口朝日放送に行く

山口朝日放送に行くには、宇部空港で飛行機を降りることになる。宇部市から山口市までは結構距離がある。タクシーで行って会社に請求する手もあったが、何故かバスを使った。確か、どこかで乗り換えが必要だった。いま山口市の人口は20万人弱である。だが私...
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私と朝日新聞 電子電波メディア局の1 琉球朝日放送に行った

さて私は、電子電波メディア局のなんとか部長になった。前回書いたように、与えられた仕事は朝日新聞が出資しているローカルテレビ局を、出資者の立場から管理・監督することである。とはいえ、それまでは取材と執筆しかしたことがない私である。いったい何を...
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私と朝日新聞 3度目の東京経済部の44 ペンを手放す日が来た

経済部におさらばする時がやって来た。記憶を整理すると、1998年ではなかったかと思う。それとも1999年だったか。ある日、経済部長に呼び出しを受けた。勤務時間中に経済部長に呼び出されるということは人事異動の通告である。財界担当というのは、経...
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私と朝日新聞 3度目の東京経済部の43 経済同友会夏のセミナー

経済同友会は毎年夏、軽井沢でセミナーを開いていた。会員である経営者の勉強会である。我々財界担当記者も、このセミナーを取材するために軽井沢に出向いた。軽井沢は避暑地である。標高900mから1000mの高地に広がり、統計上では東京に比べて夏場は...
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私と朝日新聞 3度目の東京経済部の42 記者会見は公の場である

記者には様々なタイプがある。記者会見で質問しない記者がいる。このタイプは2つに分かれる。1つは、「俺の関心事を他社の記者に知られてなるものか!」という記者である。夜討ち朝駆けを繰り返し、手に入るだけの情報は独自に手に入れた。だが、まだ記事に...
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私と朝日新聞 3度目の東京経済部の41 帰国の2

〈ポーランド = あれこれ〉 ワルシャワの町を見る暇がない。取材で人に会いに行く車の窓からながめる程度。だからワルシャワという町については何もわからない。分かったのは車の多さだけ。歩道に乗り上げて駐車し、その車道側にまた車が止まり、あちこち...
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私と朝日新聞 3度目の東京経済部の40 帰国の1

ここから先はワルシャワでパソコンに入力しながら送信の時間がなく、帰国後に送ったメールを元にしているようである。中欧取材旅行の断片的な印象記のようなものだ。✖️     ✖️     ✖️     ✖️     ✖️     ✖️     ✖...
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私と朝日新聞 3度目の東京経済部の39 小林一茶

今回は、中欧取材旅行報告の山場であります。名付けて「日欧文化比較論」。もちろん、掘り下げた考証を重ねる知識などありませんが、中欧を旅して感じたままを書き連ねたものです。【10月15日】8時半、プラハ証券取引所理事長に面会した。この日、なかな...
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私と朝日新聞 3度目の東京経済部の38 シュコダ社での取材

【10月13日】6時前に目が覚めた。メールを書き、荷物をまとめ、7時半頃朝食を取りに町に出た。ところが、どの店も開店は8時。それを待っていては予定に間に合わない。仕方なく、本日も朝食抜き。(解説) 非自発的ダイエット生活。なのに、ベルトはい...
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私と朝日新聞 3度目の東京経済部の37 クッ、クッ、クッ

【10月12日】昨日の続き。このホテルは、ゴクミ(国民的美少女=後藤久美子)とアレジも泊まったそうだ。だから何だということもないが。(解説)あの国民的美少女は、いま、どこで、何をしてるんでしょうねえ、最近、ちっともお目にかかりません。町で浮...
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私と朝日新聞 3度目の東京経済部の36 国立オペラハウス

私は、ブダペストで経団連の一行から離れ、独自取材の旅を始めた。「折角旧東欧に行くのなら、独自取材してさ、ソ連のくびきから離れた国々が、いまどうなっているかを書きなよ」と勧めてくれたのは、社歴では後輩のデスクだった。その話に乗ったのである。以...
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私と朝日新聞 3度目の東京経済部の35 マイケル・ジャクソンの新婚旅行

【10月10日】まず、ルーマニアで書き残したことを少々。ここもパトカーの先導で、バスで移動した。いや、実に速い。ちなみに、パトカーはフォルクスワーゲン・ヴェント。これが先頭に立ち、旧東ドイツと同じように、前に行く車を止め、横から出てくる車を...
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私と朝日新聞 3度目の東京経済部の34 トイレットペーパー

【10月8日】 P.S.(解説)P.S.=追伸迎賓館のトイレットペーパーは博物館ものだ。新聞紙ほどではないが、固い。不揃いでもある。丸くロールし、下上でカットすれば、両端はきれいにそろうはずなのに、両端がそろっていない。いったいどんな作り方...
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私と朝日新聞 3度目の東京経済部の33 ルーマニアの迎賓館

【10月8日】7日は午前5時半起きだった。6時にラゲッジダウンして、7時にホテルを出てフランクフルト空港へ。ドイツの朝は遅く、8時をすぎても夜が明けない。真っ暗な中での移動である。一方で、ドイツ人の朝は早く、真っ暗な中を職場に向かうサラリー...
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私と朝日新聞 3度目の東京経済部の32 なぜか、ワーゲン

【10月6日】 ドレスデンのホテルから、バスで南西に走り、フォルクスワーゲンの工場があるツヴィカウへ。工場を視察。新型パサートの組立工程を見る。ゴルフIVもこの工場で作るというが、組立ラインは案内してくれなかった。生産の立ち上がり時期だけに...
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私と朝日新聞 3度目の東京経済部の31 プラハを歩く

【10月4日】 まず、昨日。午前中、プラハ城、カレル橋を見学。ゴシック様式の壮大な城、内部の造作、ステンドグラスに西洋の感性を見て取った。金閣、銀閣を美の極致とする日本人の感覚からすれば、西洋は装飾過剰。粘着質であると感じる。(解説) 素直...
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私と朝日新聞 3度目の東京経済部の30 チェコのビールは美味かった!

財界担当は2〜3年続いたと思う。経済部記者としての最後の担当になり、50歳にして取材現場から外されるまではずっと財界担当だったのだから、その程度のはずである。その財界担当記者としての最大の出来事は、経団連のミッションに同行しての旧東欧諸国の...
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私と朝日新聞 3度目の東京経済部の29 平岩さんは色っぽい爺、であった

平岩さんの会長室の執務机の上には、常に10数冊の本が平積みしてあった。恐らく、これから読もうという本なのだろう。私が会長室に入ると、平岩さんは眼鏡をかけながら立ち上がり、「大道さん、この本、読みました?」の定型フレーズを口にしながら、応接セ...
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私と朝日新聞 3度目の東京経済部の28 平岩外四さんと親しくなった

もう一度平岩外四さんに触れておきたい。東京電力会長で、第7代経団連会長だった平岩さんである。前に書いように、私が平岩さんを初めて訪ねたのは、豊田経団連会長の後継人事が取り沙汰されている頃だった。豊田さんの続投が望ましいと考えていた私が、財界...
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私と朝日新聞 3度目の東京経済部の27 経団連会長に必要なお金

歴代の経団連会長を並べてみよう。初代:石川 一郎 (日産化学工業社長)第2代:石坂 泰三 (東京芝浦電気社長)第3代:植村 甲午郎 (経団連事務局)第4代:土光 敏夫 (東京芝浦電気会長)第5代:稲山 嘉寛 (新日本製鐵会長)第6代:斎藤 ...
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私と朝日新聞 3度目の東京経済部の26 夏の経団連フォーラム

経団連は毎年夏、御殿場の経団連ゲストハウスで夏のフォーラムを開いていた。会長をはじめとした幹部が揃って出席、講師を招いての勉強会である。財界担当記者はそのフォーラムを取材するのも仕事の1つだった。2006年、キヤノンの御手洗富士夫会長の下で...
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私と朝日新聞 3度目の東京経済部の25 神田取材センター

少し矛先を変える。財界を担当している間、私のたまり場は神田取材センターだった。取材先に部屋と電話を提供されているのがほとんどの記者クラブである。その記者クラブへの批判は年々高まっていた。たしかに、取材対象の一角に居を定めれば、取材に便利であ...
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私と朝日新聞 3度目の東京経済部の24 名社長の条件

財界を担当して、最大の仕事は経団連会長人事だったのかもしれない。いろいろと経済団体の提言などを記事にしたが、あまり記憶に残っていないところをみると、それほどたいしたものではなかったのだろう。よってこれからは、アラカルト的に財界担当時代の、記...
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私と朝日新聞 3度目の東京経済部の23 今井さんは引き受けてくれるでしょうか?

抜かれた。抜かれたら、追いかけて記事を書かなければならない。だが、外はまだ真っ暗。草木も眠る丑三つ時である。なにしろ、まだ午前3時半である。電話をかけていい時間ではない。取材先の目覚めを待たねば取材は出来ない。私はジリジリしながら夜明けを待...
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私と朝日新聞 3度目の東京経済部の22 私は経団連会長人事を抜かれた

豊田章一郎さんからバトンタッチを受けて第9代経団連会長になったのは、新日鐵会長の今井敬さんである。私はこの会長人事を抜かれた。取材は重ねた。財界人と呼ばれる人たちに会い、何となくの空気を感じていた。豊田さんとも話した。意中の人は今井さんであ...
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私と朝日新聞 3度目の東京経済部の21 鉄は産業の米か

経団連会長の任期は1期2年である、豊田章一郎さんが2期目に入った1996年からは、誰が次の財界総理になるかが関心を集めた。私も財界担当記者の端くれである。人事などにはあまり関心はなかった、取材はしなければならない。選挙では出たい人より出した...
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私と朝日新聞 3度目の東京経済部の20 財界と企業献金の話

財界を取材する上で、企業の政治献金の話は是非ものである。経団連は長い間、政治献金の取りまとめ役だった。経団連が各業界団体ごとに献金額を割り振り、それを受けた業界団体が傘下の企業にさらに割り振る。大企業が金の力で自民党政権を支える。その事務方...
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私と朝日新聞 3度目の東京経済部の19 豊田経団連会長の追い出しコンパ その2

追い出しコンパ当日。私が提案し、私が企画し、私が動き回って実現した宴会である。進行役も当然私の仕事になる。追い出しコンパ、別命送別会の決まりものは、送別の辞である。ここは記者クラブに巣くう記者たちが、それぞれの豊田さんを送別する思いを語らね...
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私と朝日新聞 3度目の東京経済部の18 豊田経団連会長の追い出しコンパ その1

勢いに乗って、豊田章一郎さんの話を続ける。豊田章一郎さんが、平岩外四・東京電力会長のあとを継いで経団連会長に就任したのは1994年5月のことである。1998年5月まで2期4年務められた。その途中で私は財界担当になり、トヨタ自動車が取材先にな...
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私と朝日新聞 3度目の東京経済部の17 豊田章一郎はプロレタリアートか?_

前回は、豊田章一郎経団連会長の発言を批判した記事について書いた。新聞記者には批判精神は是非ものである。しかし、良いものを良いと認めるのも新聞記者には必要だと私は考える。今日は、豊田章一郎さんのちょっといい話から始める。当時、大企業の不祥事が...
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私と朝日新聞 3度目の東京経済部の16 規制緩和と車検制度

規制緩和が当時の流行語だったことは前回書いた。そんな時勢柄、経済団体の記者会見では、規制緩和がらみの質疑応答が繰り返された。日本は規制が多すぎる、というのが財界の主張だった。国が、霞が関の官僚が様々な規制の網を張り巡らせて企業の自由な行動を...
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私と朝日新聞 3度目の東京経済部の15 私は財界担当になりました

私は財界担当になった。取材対象は、経済団体連合会(経団連)、日本経営者団体連盟(日経連)、経済同友会、日本商工会議所である。これを経済4団体といったが、経団連と日経連は2002年に統合した。いまは経済3団体、というのかな?まず、4つの団体の...
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私と朝日新聞 3度目の東京経済部の14 また建設省担当にになった

経済部長は約束通り、6ヵ月で私を経済部に呼び戻した。新しい担当職場は、再び建設省だった。「またかよ!」と思わぬでもなかったが、私にはどうすることもできない。そういえば、1回目の建設省担当は、建設省の記者クラブに初めて経済部の机が出来たという...
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私と朝日新聞 3度目の東京経済部の13 新年1面企画を書けと命じられた

私が記事審査室員になったのは10月。半年の約束だから、翌年3月までのおつとめだ。そう思っていたら、11月末頃、経済部長から呼び出された。「君、大道君、すまないが、新年の1面企画に加わってほしいんだが」新年の1面企画とは、1月1日朝刊から1面...
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私と朝日新聞 3度目の東京経済部の12 記事審査室に異動になった

「大道君、記事審査室に行ってくれないか?」と経済部長に言われたのは、ウイークエンド経済のデスクを務めて1年近くたった頃だったと思う。記事審査室とは、日々の朝日新聞の記事を審査する部署である。紙面の隅々まで目を通して批評するだけではない。同じ...
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私と朝日新聞 3度目の東京経済部の11 あの日は忘れられません

朝日新聞社のコアタイムは、9時〜17時、10時〜18時の2本立てだった。職場の実情に応じて、どちらかを選ぶ。というのが立て前だが、編集局には通用しない。どれほど働こうと働くまいと、基本給と所属する部署に応じて定額の時間外手当が支払われるから...
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私と朝日新聞 3度目の東京経済部の10 デスクという仕事

①ウイークエンド経済編集部にはデスクが2人いて、週替わりでフロント面を担当した。②ウイークエンド経済は土曜日の夕刊に掲載される。原稿の締め切りは土曜日午前中である。③新聞記者とは、時間が許す限り取材をしたいものである。頭の中は常に「あの人に...
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私と朝日新聞 3度目の東京経済部の9 2冊の本が届きました

先日Amazonに注文した栗原さんと赤池さんの本が届いた。「お医者さんの食卓」(朝日新聞社)と「ものづくりの方舟」(講談社)である。「お医者さんの食卓」はあとがきによると「この本は朝日新聞『ウイークエンド経済』に連載したコラム『食楽考』をま...
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私と朝日新聞 3度目の東京経済部の8 山本夏彦さんのこと

ウイークエンド経済時代の話を書いている最中に、「ウイークエンド経済」を論じた文章にぶつかった。再読を始めた山本夏彦さんの著作、「愚図の大いそがし」という本である。そのものズバリ、「ウイークエンド経済」という見出しの章があったのである、「まさ...
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私と朝日新聞 3度目の東京経済部の7 タクシー運転手を殴ったヤツがいた

おかしなウイークエンド経済部員がいた。いや、おかしいというのは私の主観である。他の人から見たらおかしくはないのかもしれないし、本人はいたってまともだと思っているに違いない。だが、私から見れば、ヤツはおかしかった。どうやら彼は、私を嫌っていた...
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私と朝日新聞 3度目の東京経済部の6 十読しても分からない原稿と格闘した話

栗原さんと赤池さんは私が発掘したコラムニストである。当然私が担当する。毎週締め切りまでに原稿を受け取り、必要があれば直しを入れ、商品になる原稿にして紙面化する。とはいえ、お2人の原稿は私などが及びもつかないほど優れたものであった。私は最初の...
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私と朝日新聞 3度目の東京経済部の5 「ものづくりの方舟」の話

栗原さんを初めて訪ねたのと並行して、私は赤池学さんとも会った。I 編集長に渡された「メルセデス・ベンツに乗るということ」という本を読み終え、彼の文章に惹かれた。机の前で正座し、姿勢を正して一文字一文字に思いを込めて筆を進めたような端正な文章...
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私と朝日新聞 3度目の東京経済部の4 「食楽考」は素晴らしいコラムだった

次は「食」である。八重洲ブックセンターで私は、これは、と思える2、3冊の本を買った。その中に書名は忘れたが栗原雅直さんの本があって、実に面白かった。しかし、奥付を見ると栗原さんは精神科医とある。食と健康の専門家ではない。「ああ、違うな」と一...
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私と朝日新聞 3度目の東京経済部の3 コラム欄の新設を命じられた

当時のウイークエンド経済の編集長をIさんといった。東大卒。私などとても及ばないほど頭のいい人ながら、出世欲は極めて薄い、尊敬に値する数少ない先輩だった。「大ちゃん」とある日呼びかけられた。「コラムを入れ換えたいんだ。今やってるヤツ、あまり面...
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私と朝日新聞 3度目の東京経済部の2 初めての老眼鏡を買った

人の記憶とは不思議なものである。古いことはよく覚えているのに、新しくなると徐々に記憶が混乱してくる。そしてある時点から再び記憶が鮮明になり、その先は再び想い出がぼやける。そんなことは誰にでもあることだといいわれる。だから私にも起きている。最...
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私と朝日新聞 3度目の東京経済部の1 妻女殿が入院した

さて、3度目となった私の東京での仕事は、悲惨な話から始めなければならない。私が東京に帰任した直後、妻女殿が入院されたのである。膠原病の症状が急激に悪化したのだ。私の車を使ったのか、それとも救急車を要請したのかは記憶にないが、とにかく、寝室で...
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私と朝日新聞 2度目の東京経済部の70 朝日新聞の珊瑚礁事件

申し訳ない。またまた「2度目の東京経済部」に舞い戻った。書きわすれていたことを思い出したのである。朝日新聞が激しいバッシングにあった「珊瑚礁事件」である。思わずバッシングと書いてしまったが、あの時朝日新聞の1記者がやってしまったことは世間の...
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私と朝日新聞 2度目の東京経済部の69 ウイークエンド経済ではこんな記事も書いたのです

そろそろ「ウイークエンド経済」におさらばしようと思っていたら、「ああ、こんなこともやったな」という記事が切り抜きから現れた。ご紹介したい。1つは1990年7月2日に、東西ドイツの通貨が統合された時に「何か出来ないか?」と編集部で知恵を出し合...
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私と朝日新聞 2度目の東京経済部の68 宮路年雄という人

足繁く、とまではいわないが、私は結構頻繁に城南電機を訪ねた。宮路社長がいればすぐに社長室に入って雑談を始めるが、たまに社長が外出中のことがある。そんな機会を重ねるうちに、事務方の女の子たちとも仲良くなった。「ねえ、大道さん」と、宮路社長のあ...
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私と朝日新聞 2度目の東京経済部の67 城南電機は安い!

「ビジネス戦記」は、いわゆる聞き書きで作り上げる。私たち記者が取材先から話をうかがい、取材先に成り代わってその話を原稿に起こす。もちろん、どんな話から始めるか、話の流れをどう構成するか、など記者が関わる部分は少なくない。しかし、立て前は取材...
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私と朝日新聞 2度目の東京経済部の66 宮路社長を我が家にお招きした

宮路社長にはよくご馳走になった。「お返しを」といっても、応じてくれる人ではない。飲んだ後の支払いは必ず宮路社長だった。これはいけない。取材先と仲良くするのは記者のイロハだが、ご馳走になりっぱなしでは風上には置けない記者に成り下がる。そこで一...
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私と朝日新聞 2度目の東京経済部の65 防弾仕様のロールス・ロイスが中古車になった

城南電機、宮路年雄社長のロールス・ロイスの話を続ける。「お父さん」と私に声をかけてきたのは、確か長男だった。「城南電機の社長さんはロールス・ロイスに乗ってるんだよね」ほう、私は息子にそんな話をしたことがあったか。「そうだよ」何気なく答えた。...
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私と朝日新聞 2度目の東京経済部の64 ロールス・ロイスの後部座席に乗った

そんなことを繰り返しながら、だが、私と宮路社長の仲は急速に接近した。どうやら私は宮路社長のお眼鏡にかなったようだった。「大道(ダイド)さん、飲みに行こ」そんな誘いを何度も受けた。行き先は、おおむね赤坂の「大友」というフグ料理専門店である。フ...
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私と朝日新聞 2度目の東京経済部の63 宮地社長を記事にした

家電品の価格のからくり、流通の問題は是非記事にしたいテーマだった。どんな仕組みがあるから販売店によって小売価格が違うのかを暴露したメディアは、私が知る限りそれまでなかった。それを書きたい。でも、命をかけるのか? それは御免である。ほかに上手...
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私と朝日新聞 2度目の東京経済部の62 城南電機の宮路年雄社長に会った

この頃私は、家電製品の価格のからくりを知りたくて仕方がなかった。同じメーカーの同じテレビで、量販店と町の電気屋では価格が違う。そりゃあ、小さな町の電気屋と量販店では売れる台数が違うし、経営の仕方がまるで異なっているからある程度の違いが出るの...
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私と朝日新聞 2度目の東京経済部の61 カタログ、というコーナー

「カタログ」というコーナーも、ウイークエンド経済の定番だった。故花森安治氏を真似たわけではないが、商品を自分たちでテストしてその結果を記事にしようというのである。聞くところによると、「暮しの手帖」では実に科学的に商品の善し悪しを判別するシス...
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私と朝日新聞 2度目の東京経済部の60 桝谷英哉さんにコラムの連載をお願いした

クリスキットの桝谷英哉さんにコラムの執筆をお願いしたのも、ウイークエンド経済だった。もちろん私が話を持ちかけ、了解を頂いて始めた。桝谷さんはクリスキットを設計した人である。自分で作ることができるものは自分で作ってしまう。「音らかす」で紹介し...
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私と朝日新聞 2度目の東京経済部の59 「マイポケット」の話

ウイークエンド経済の紙面はフロント面だけではない。ほかにもいろいろな趣向があった。その1つが「マイポケット」である。著名人に財布の中身を入口にして経済観念を語って貰おうという主旨だったと思う。経済の潤滑油であるお金を入口にすれば、全て経済記...
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私と朝日新聞 3度目の東京経済部の58 ウイークエンド経済は楽しい!

福岡で起きたことは「編集部調査報告第2弾」で読者に伝えた。それで終わっても良かったのかも知れない。だが、ウイークエンド経済編集部内には何だか物足りないという空気が漂った。これだけで済ませていいのか? いったい、何故こんな悪辣な経済行為が生ま...
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私と朝日新聞 2度目の東京経済部の57 福岡のマンション狂想曲

フロント面で中古マンションの価格動向を特集したことがある。このころ、中古マンションは全国的に値下がりしているといわれていた。本当だろうか? というのが私たちの思いだった。「編集部調査報告」とうたった特集の第1弾にはこんな見出しが躍った。値崩...
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桐生が突然の停電に見舞われた

桐生が突然の停電に見舞われた。27日午後1時35分の出来事である。ブチッという音とともに家の中の電気が全て消えた。パソコンもその1つである。このような時にまず疑うのは電気の使いすぎでブレーカーが落ちたのではないかということだ。そんなに電気器...
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えっ、俺、ここで死ぬのかな? と思った話

「私と朝日新聞」の連載を中断して、最近私に起きた事故を書いておく。事故が起きたのは24日未明、時間でいえば午前2時か3時ごろだったと思う。時計は確認しなかったが、あれこれ付き合わせると、その頃だと思われる。私は尿意に起こされてトイレに立った...
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私と朝日新聞 2度目の東京経済部の56 ウイークエンド経済

ここまで書いてきて、大変な間違いをしでかしていたことに気が付いた。2度目の東京勤務のことである。実は最後に担当したのは経済企画庁ではなかった。そのあと「ウイークエンド経済」の担当になっていた。従って、経済企画庁—ウイークエンド経済—名古屋経...
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私と朝日新聞 2度目の名古屋経済部の21 東京の部長には嫌われていたらしい

2度目の名古屋勤務は3年半の長きにわたった。長男はこの間に高校を卒業し、みごとに1浪の身となっていた。長女は国立音楽大学附属高校の2年になり、次女は地元の公立中学生である。月に1度しか帰省しなかった私は、父親らしいことはほとんどしてやれてい...
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私と朝日新聞 2度目の名古屋経済部の20 それにしても、加藤会長という人は……

それにしても、である。加藤東海銀行会長に対する周りの評価は驚くほど低かった。「だが、名古屋財界のトップと言われる名古屋商工会議所の会頭になっていたではないか。評価は高かったのでは?」という反論もあろうが、名古屋商工会議所会頭とは、加藤氏の前...
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私と朝日新聞 2度目の名古屋経済部の19 忘れていたが、東海銀行にはもう一つ事件があった

年末に次女一家がやって来た。ファミリーレストランで一緒に食事をするだけの短い滞在だった。両親、つまり我々夫婦の老い方を観察に来たらしい。なししろ最近は、妻女殿が子どもたちの来訪を拒否されるのだから、老いた両親のことを気にかけているだろう子ど...
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私と朝日新聞 2度目の名古屋経済部の18 見た目にも気をつけないと

名古屋では、意図した訳ではないが、クリスキットの普及にも一役買った。「えっ、このスピーカーはどこのですか?」と問いかけたのは名古屋経済部で一緒だったYa君である。その日、確か「俺の手料理を食べさせてやる」と何人かを我がワンルームマンションに...
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私と朝日新聞 2度目の名古屋経済部の17 父親不在の家庭

単身赴任中、私は月1度の割で横浜に帰省した。移動はマイカーである。当時の愛車は紺色のホンダ・アコードだった。初めて買った「新車」で、5グレードのうちのちょうど真ん中、上から数えても下から数えても3番目のグレードである。確か200万円前後した...
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私と朝日新聞 2度目の名古屋経済部の16 採用面接で素敵な青年に出会った

この若者となら、是非一緒に仕事がしてみたい、という受験生が1人だけいた。名古屋大学の男子学生だった。志望動機、朝日新聞を選ぶ理由、入社後の希望、どんな記者になりたいのか。入社面接ならどこでもあるような質疑があった。笑顔がさわやかな青年で印象...
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私と朝日新聞 2度目の名古屋経済部の15 入社試験の面接官になった

仕事といえば、これも仕事である。ある年、私は入社試験の面接官を仰せつかった。私が入社試験を受けた時の話に書いたが、朝日新聞は筆記試験で足きりをした後、面接で最終選考する。私が受験生の時は役員面接だけだったが、この頃は役員面接の前に現場記者の...
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私と朝日新聞 2度目の名古屋経済部の14 News That’s Fit to Print.がない時は

All the News That’s Fit to Print.これはニューヨークタイムズのモットーである。国際金融の取材でニューヨークを訪れた時、確か新聞輸送用のトラックに書いてあり、「洒落たキャッチコピーだな」と感心したことがある。印...
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私と朝日新聞 2度目の名古屋経済部の13 トヨタ自動車の飲み友だち

トヨタ自動車広報課長のYaさんと飲み友だちになるのにたいした時間はかからなかった。私はできるだけトヨタ自動車に人脈を作りたい。広報課長であるYaさんは逆に、記者に人脈を築くのが仕事だ。お互いの利害が一致し、お互いに酒が好きであれば瞬時に飲み...
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私と朝日新聞 2度目の名古屋経済部の12 技術者の率直さ

「あ、みんな気が付いてはいるんだ」技術者たちとの、まずは名刺交換、おずおずとした自己紹介で始まり徐々に熱が高まって約2時間ににもわたった懇談を一言に要約すれば、そうなる。私がトヨタ自動車の車に持つ不満は、懇談に出てきた技術者たちにも共通して...
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私と朝日新聞 2度目の名古屋経済部の11 渡辺捷昭さんと仲良くなった

トヨタ自動車取締役の渡辺捷昭(かつあき)さんと初めてお目にかかったのは、野村證券名古屋支店の若手に示唆されて間もなくだったと思う。まずは豊田市の本社で会い、すぐに「飲みましょう」と誘った。記憶によると渡辺さんは酒を飲まない人だったが「いいで...
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私と朝日新聞 2度目の名古屋経済部の10 足首が半年間も痛かった話

ここまで書いてきて、名古屋に2度目に赴任してから後しばらくの記憶が曖昧なのに気が付いた。名古屋には3年半いて東京経済部に戻るのだが、名古屋時代、そして東京に戻ってからしばらくの間、時間にして5、6年のことが曖昧模糊としているのである。齢を重...
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私と朝日新聞 2度目の名古屋経済部の9 松永亀三郎さんのこと

私が2度目の名古屋在勤時代、中部電力会長だった松永亀三郎さんのことを書いておきたい。東海銀行の不正融資事件が起きた時、中部経済連合会会長も務めておられ、財界人としてこの事件をどう見ているかを聞くためにお会いしたのがお付き合いのきっかけだった...
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私と朝日新聞 2度目の名古屋経済部の8 最高権力者の出処進退

長期戦だった東海銀行不正融資事件もほぼ終幕が見え始め、朝日新聞は連載を始めた。事件の総まとめである。取材チームがそれまでに集めた情報をまとめ、全体像を描くのが主旨だったと記憶する。朝日新聞の連載開始と歩調を合わせたように、東海銀行も事件の幕...
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私と朝日新聞 2度目の名古屋経済部の7 敵と味方

私たち、朝日新聞チームの取材が進み、東海銀行の恥部ともいえる話が紙面を飾ることが重なると、敵が増えてきた。東海銀行幹部が朝日新聞幹部に善処を申し入れに来たことはすでに書いた。それだけではなく、当初は共同作業で事件のあらましをつかもうと協力関...
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私と朝日新聞 2度目の名古屋経済部の6 阿呆なデスクがいた話

名古屋経済部には2人のデスクがいた。デスクとは記者が書いてきた原稿を、新聞に掲載するに足る商品に仕上げる仕事である。だから、立て前としては記者以上に優れた原稿を書く能力を備え、記者の下手な原稿に青ペンを入れて修正することになっている。だが、...
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私と朝日新聞 2度目の名古屋経済部の5 今度は名古屋経済部長と喧嘩をした

東海銀行秋葉原支店の不正融資事件の取材はずいぶん長く続いた。3ヵ月? 6ヵ月? 記憶ははっきりしないが、やがて長期戦で取材チームが疲弊してきた。それはそうである。この取材に取りかかった日から、名古屋本社経済部員のほとんど全員が休日返上で働き...
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私と朝日新聞 2度目の名古屋経済部の4  東海銀行の不正融資事件

それにしても、私は東海銀行(現三菱東京UFJ銀行)とは、何か不思議な縁で結ばれていたようである。1回目の名古屋勤務では札幌支店長が外国銀行に頼まれ、融資の紹介状を書いた事件を追いかけた。そして2回目の勤務では、秋葉原支店の不正融資事件を追い...
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私と朝日新聞 2度目の名古屋経済部の3 独り暮らしの基礎が出来た

昼食はスパゲティが多かった。まずは麺を茹でなければならない。うどんやラーメンの麺と、スパゲティの麺には基本的な違いがある。うどんやラーメンは麺に塩を練り込んであるが、スパゲティに塩は入っていない。従って、うどんやラーメンを茹でるのは塩抜きを...
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私と朝日新聞 2度目の名古屋経済部の2 朝食は作りダメルことにした

確か、ちょうどその頃だった。書店を散策していた私は1冊の本に出会う。「丸元淑生のシステム料理学」という文庫本である。宮沢りえちゃんのヌード写真集「サンタフェ」が書店に並んだ日だった。いや、そのヌード写真集を買おうと思って書店に行ったのではな...
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私と朝日新聞 2度目の名古屋経済部の1 独り暮らしの基礎は食事である

前回の名古屋勤務は家族を伴っていたので、名古屋市千種区に会社が借り上げている3DKのマンションに入ったが、今回は私1人である。鶴舞公園近くのワンルームマンションが会社が用意した住まいだった。住都公団のマンションを借り上げたものである。広さは...
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私と朝日新聞 2度目の東京経済部の55 私が「忙しい」を口にする人間を信用できないわけ

再び東京を離れることになった。行き先は名古屋である。しばらく前に、経済部長と喧嘩をしてしまったことは前回書いた。東京経済部から名古屋経済部。何となく左遷の臭いがある人事である。さて、これが部長の報復によるものか、それとも上司の満足を得るだけ...
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私と朝日新聞 2度目の東京経済部の54 実力部長と喧嘩をしてしまった……

記者会見が始まった。経済部長の友人は大学教授(確か、筑波大学だった)を連れていた。この教授の研究を発表するらしい。地価を引き下げる方策——それは、不動産を小口の証券にすることだった。土地であれビルであれ、細かく分けて証券化し、一般に売りに出...
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私と朝日新聞 2度目の東京経済部の53 記者クラブというもの

「大道君」と経済企画庁の記者クラブに電話をよこしたのはHa経済部長だった。部長直々の電話、何事ならんと身構える。「実は、ちょっとお願いがあってね」業務命令ではなく、お願い、ってか?「私の友人が経済関係のシンクタンクみたいなことをやっていてね...
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私と朝日新聞 2度目の東京経済部の52 高天原景気

民間出身初の女性閣僚として高原須美子さんが経済企画庁長官に就任したのは、記録を調べると1989年8月のことである。記者クラブでの就任会見に出た記憶があるから、当時はすでに経済企画庁担当になっていたらしい。高原さんは元毎日新聞記者。結婚を機に...
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私と朝日新聞 2度目の東京経済部の51 日本経済の曲がり角

バブルといわれた時代、日本の株価は天井知らずの上昇を続けていた。日経平均株価は1989年12月29日。38,915円87銭の史上最高値をつけた。「まだまだ上を行く。目標は5万円だ」「それは弱気すぎる。10万円も夢ではない」株式市場関係者の間...
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私と朝日新聞 2度目の東京経済部の50 ワープロの話

経済企画庁は経済官庁である。その活動で、もっとも注目されたのは四半期別GDP速報(当時、QE=Quick Estimateといっていたように記憶するのだが、ネットでQE、Quick Estimateを検索しても出て来ない。記憶が混濁している...
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私と朝日新聞 2度目の東京経済部の49 こんな訂正もありました

思わず、「ウッソー!」と言いたくなる訂正記事の話をご紹介しよう。経済企画庁担当の間に起きたことである。「大道さん、こんなペーパー、関心ある?」ある局長の部屋に入り込んで雑談をしていた。取材先と顔なじみになる。これも立派な取材である。ペーパー...
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私と朝日新聞 2度目の東京経済部の48 3回連続で訂正を出してしまった

次の担当は経済企画庁(現在は内閣府の一部)だった。就任したのは1990年前後だったと思う。実質はともあれ、経済企画庁は国の経済政策全般を司る官庁である。つまり、数字いじりを仕事とする。数字? 私、苦手である。そもそも、経済部に招かれたとき、...
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私と朝日新聞 2度目の東京経済部の47 「銀座のクラブにご招待しよう」とMoさんは言った

そろそろ証券業界担当から離れなければならない。その前に、1つだけ書いておきたいエピソードがある。最初のキャップ、Moさんの話である。ある土曜日だった。その日は私が出番で、ひとりで記者クラブに詰めいていた。土曜日は市場は休みだから、証券会社も...
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私と朝日新聞 2度目の東京経済部の46 落ちこぼれる?

証券業界を担当した2年ほどの間、私は結構身を入れて仕事をしたと思う。ところが、あのインサイダー取引事件を除けば、あまり記憶に残る仕事がない。多少記憶に残るのは新規上場株の問題ぐらいである。時はバブル絶頂期である。新規上場株が異様な人気となっ...
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私と朝日新聞 2度目の東京経済部の45 インサイダー事件の報道合戦に圧勝した

朝日新聞が先鞭をつけ、新日鉄幹部の株取引手口をすっぱ抜いて盛り上げたインサイダー取引事件は、その後も取材競争が続いた。そして朝日新聞は先行逃げ切りを達成した。事件の節目節目で特ダネを書き続けたのである。この事件に関する限り、朝日の独擅場とい...
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私と朝日新聞 2度目の東京経済部の44 インタビューは出来なかった

「そんな! あなたは取材を受けると約束したじゃありませんか!」といってみたところで、どうにかなるものではないことは分かった。しかし、ではどうする? 脅すしかない。「そうですか。では、これまで新日鐵にはあなたのことは何も話していません。しかし...
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私と朝日新聞 2度目の東京経済部の43 インタビューのアポイントを取り付けたのだが

インタビューをするには相手の協力がいる。口を開く気がない相手ではインタビューは成り立たない。つまり、私が書きたい記事を書くには、インサイダー取引をした新日鐵幹部に連絡を取り、インタビューの趣旨を説明し、実行する日取りを決めなければならない。...
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私と朝日新聞 2度目の東京経済部の42 インサイダーを特定できた!

「新日鉄の本社って、丸の内でしょ。提携の担当者だったら本社にいるはず。だから、山一証券で株を買ったのなら丸の内支店だと思ったのね。具合のいいことに、丸の内支店には可愛がっている後輩の女の子がいてね」それで彼女は、その後輩に電話を入れたのだそ...
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私と朝日新聞 2度目の東京経済部の41 「大道さん、ちょっと来ませんか?」

しかし、である。新日鉄と三協精機の提携にからんでインサイダー取引(当時はまだ犯罪ではなかったが)があったことは、すでに報じられている。では、この後何を取材して書いたらいいのか?考えた。ここはユースの原点に戻るしかないという結論に達した。5W...
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私と朝日新聞 2度目の東京経済部の40 キャップに抜かれた!

さて、仕事の話を書こう。いや、田淵さんと仲良くなることも大事な仕事だったが、ここから書くのは仕事らしい仕事である。1988年の8月のことだった。私は1週間の夏休みをとっていた。その私に「大道君」と電話をよこしたのは、何度か登場したTsu先輩...
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私と朝日新聞 2度目の東京経済部の39 野村證券のあれこれ

私が証券業界担当になったとき、「野村證券に食い込むのは無理!」と、お節介にも私にアドバイスした先輩諸氏がいたことはすでに書いた。「そんなものなのか」と思いながら、とにかく田淵社長に食い込まねば、と動き回り、ミッションを達成したことも書いた。...
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私と朝日新聞 2度目の東京経済部の38 どうしてコンサルなんかを使うんですか?

そろそろ、田淵さんの話を終わられねばならない。田淵さんを追い回していた証券担当のころ、私はカバンに小さなノートを入れていた。田淵さんの言葉を記録するためである。書き込むのは田淵邸を辞して帰宅するハイヤーの中である。1時間、2時間雑談したあと...
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私と朝日新聞 2度目の東京経済部の37 次女の結婚式に参列していただいた

東京・駒沢の田淵さんのマンションに我がファミリーが初めてお招きいただいたのは、確か正月だったと思う。「大道君、先日は御世話になった。家族の皆さんでうちに来てくれないか」私たちがお招きしたのは2人だけだが、我がファミリーは5人全員で押しかけた...
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私と朝日新聞 2度目の東京経済部の36 田淵さんと「割り勘」で飲むようになった

浪人になった田淵さんに久々に電話を入れたのはいつだったろう?「田淵さん、お元気ですか。たまには一杯飲みませんか?」電話口からは田淵さんの元気が声が聞こえてきた。「おお、大道君か、久しぶりだな。うん、飲もう」私たちの仲はまだ続いていた。「だが...
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私と朝日新聞 2度目の東京経済部の35 田淵さんと塩野七生さんを繋いだ話

田淵社長には文化に貢献したいという夢があった。社長在任中、世界中の音楽家の卵を札幌に集めてPMF(パシフィック・ミュージック・フェスティバル)を立ち上げたのである。野村證券が財団を作って費用を負担する。札幌に集まった卵たちは、時代を代表する...
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私と朝日新聞 2度目の東京経済部の34 野村證券支店長研修に1日とちょっとだけ参加した

田淵さんの話を続ける。ある時、田淵さんが突然いいだした。「俺は野村證券を理想の会社にしたい。目先の売り買いしか考えない株屋の集まりではなく、常識、良識を供えた金融の専門家集団にしたいんだ。だから俺は支店長研修に力を入れている。あの研修を見れ...
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私と朝日新聞 2度目の東京経済部の33 田淵さんに人事の話を聞いた

時間軸を無視して、田渕社長の話を続ける。ある夜回りの日、私はずっと気になっていた人事の話を持ち出した。「副社長のSaさんですが、私の目には、副社長になるような能力の持ち主ではないと見えます。どうしてあの人を副社長に引き上げたのですか?」まあ...
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私と朝日新聞 2度目の東京経済部の32 ミッションを達成した

「大道君、先日はご馳走になったな。今度はこちらがご馳走そうする番だ。いつがいいか?」いつもの夜回りで田渕社長宅に上がり込んでお酒を頂いていたら、田渕社長がそういった。4人で鳳仙花で食事をして1が月ほどたったころである。ご馳走した? いや、あ...
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私と朝日新聞 2度目の東京経済部の31 田渕社長と飲み友だちになった

「田渕さん、飲みに行きませんか」と私が初めて誘ったのは、1988年3月だった。この年1月14日から、「週に1回はこの人の顔を見る」という原則を貫き続け、この頃には親しみが増していた。そろそろ酒の席に誘ってもいいか、と考えた。酒は人と人の間を...
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私と朝日新聞 2度目の東京経済部の30  「長男に会ってやって欲しいんだ」

最初に。昨日書きわすれたことがあった。私は田淵社長に向かって「私はあなたの訃報を書く記者になりたい」といったような気がするのである。経済界の著名人が亡くなると、経済面で評伝を書く。評伝だから誰もが知っているようなことばかり並べても読んではも...
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私と朝日新聞 2度目の東京経済部の29 「梅原猛は革命家だから好きだ」

野村證券の社長、会長から電話1本で情報が取れる体制を作る。許された時間は3ヵ月。1987年末、そんな難題を課せられた私は、どうすれば課題をクリアできるかを考え続けた。どう考えても、これぞというアイデアは浮かばない。それまで、それに似たことを...
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私と朝日新聞 2度目の東京経済部の28 野村證券にあいさつに行った

新しい業界、企業を担当する。まず行うべきは、あいさつである。そして、企業を知るにはまず社長を知らねばならない。翌23日、私は野村證券の広報部に足を運び、「今日から証券業界担当になった大道です」と名刺を配りながらあいさつし、「まず、田渕社長に...
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私と朝日新聞 2度目の東京経済部の27 野村證券の社長、会長に食い込め!

「Tokyo Money」の連載が終了したのは1987年12月21日・日曜日である。札幌から東京に帰任したのが5月。それから8ヵ月の長丁場がやっと終演した。この間、ほとんど休みも取らずに取材、執筆に追われた。私は「早めに冬休みに入り、年明け...
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私と朝日新聞 2度目の東京経済部の26 長男はスター・ウォーズで英会話を学んだそうだ

そろそろ、私の世界一周の旅も終わりである。ニューヨークで重いスーツケースを引きずりながら歩いた空港がラ・ガーディアだったかジョン・F・ケネディだったかは忘れた。当日、もう一つ忘れていたものがある。家族への土産である。「こりゃあいかん。何か買...
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私と朝日新聞 2度目の東京経済部の25 CNNはニュースをエンターテインメントにした

東京とニューヨークの時差は13時間である。ニューヨークで6日午後6時の時、東京は7日午前7時ということになる。朝日新聞東京本社はまだ目覚めていない。やっと目覚め始めるのは東京時間午前9時。ニューヨークでは前日の午後8時である。こんな面倒くさ...
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私と朝日新聞 2度目の東京経済部の24 ブラックマンデーに飛び込んだ

私がニューヨークに着いたのは1987年10月18日の日曜日である。この日付は明瞭に記憶にある。ニューヨーク証券取引所で株価の大暴落が起きたブラックマンデーの前日だったからだ。ニューヨークには経済部からニューヨーク支局員になっていた同期生、O...
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私と朝日新聞 2度目の東京経済部の23 ワシントンで体力回復に努めた

米国の首都ワシントンには、経済部の先輩Taさんが特派員としていた。テレビ朝日・ニュースステーションの解説者として活躍した時代もあるから、顔を見れば思い出される方もいらっしゃるかもしれない。親しくして頂いた方だったので、日本を出る前にワシント...
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私と朝日新聞 2度目の東京経済部の22 グランドケイマンでパーパーカンパニーを見た

グランドケイマンで取材に訪れた先は、カナダ・インペリアル銀行(CIBC)ケイマン支店である。これは、記事を引用した方が話が早いだろう。「キューバ島上空を南に突っ切って間もなく、米テネシー州メンフィス発のノースウエスト航空475便はカリブ海に...
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私と朝日新聞 2度目の東京経済部の21 グランドケイマンでの亀料理

グランドケイマンに到着したのは夕刻だった。まず、予約してあったホテルにチェックインする。次はお腹を満たさねばならない。メキシコシティから続いていた腹痛は、旅の途中で服用した「ワカ末」の効果だろうか、小康を得ていた。しかし、あくまで小康である...
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私と朝日新聞 2度目の東京経済部の20 グランドケイマンへの飛行機ですこぶる付きの美女に会った

今回は、激痛を発し続ける腹を抱えて私がグランドケイマンにたどり着くまでの経緯を書かねばならない。そこで「グルメらかす」を見た。いま改めて書き起こすより、こちらの方がはるかに詳しく、文章も軽快である。なんだかこのところ、ずっと手抜きばかりして...
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私と朝日新聞 2度目の東京経済部の19 メキシコの空港で激しい腹痛に襲われたのです

しかし、である。入国の際のゴタゴタから始まって、メキシコは思い出深い国である。メキシコシティ市内でタクシーに乗った。車はあのかぶと虫のような形をしたフォルクスワーゲン・ビートルである。ビートルは2ドアの車だ。タクシーには不向きだろうと思った...
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私と朝日新聞 2度目の東京経済部の18 メキシコシティで公債局長にインタビューした

メキシコシティを訪れたのも、「キャピタル・フライト」の取材の一環である。そもそも、金が逃げ出す国、メキシコの政府はいったい何をやっているのか? 通貨安を招くキャピタル。フライトにどんな手を打っているのか。それを知らねば原稿が書けない。メキシ...
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私と朝日新聞 2度目の東京経済部の17 メキシコシティの空港で恐喝された

サンディエゴ空港であんな出来事があったのである。私の旅、無事に済むわけがない。ロサンゼルスの空港から乗った飛行機がメキシコシティに降り立つと、今度は私に災難が襲ってきた。恐喝にあったのだ。再びコピペに頼ると、こんな出来事である。手荷物チェッ...
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私と朝日新聞 2度目の東京経済部の16 サンディエゴ空港でのハプニング

サンディエゴからメキシコシティに行くのは、ロサンゼルス経由である。この乗り継ぎ便で一騒動あった。「グルメらかす」からコピペすると、こんな騒ぎであった。乗り継ぎ便の出発予定は午前10時半である。9時半には空港に着き、出発ゲートの前で待った。周...
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私と朝日新聞 2度目の東京経済部の15 サンディエゴでは遊んだ記憶しかないのです

サンディエゴでは、国境の検問所を見た。アメリカからメキシコへ、メキシコからアメリカへ、人や車が行き来していた。国境が海の上にある日本では絶対に目に出来ない風景である。東京銀行の方々は週末もお付き合い下さり、シーワールドに案内して頂いた。「え...
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私と朝日新聞 2度目の東京経済部の14 サンディエゴで遊ばせて頂いた

サンディエゴについては、やっぱり「グルメらかす」で書いている。ここも読者の手を患わせることがないよう、コピペで私のサンディエゴをお読み頂こう。サンディエゴは砂漠の仲にできた街だった。現地で会った日本人から、「昨日、隣の家の前の芝生に、何か長...
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私と朝日新聞 2度目の東京経済部の13 キャピタル・フライト

次の目的地は、アメリカ・サンディエゴである。ここでは「キャピタル・フライト」を取材する。キャピタル・フライトとは、お金がより有利な投資先を求めて国境を出入りすることをいう。サンディエゴはメキシコとの国教にある都市だ。ここにメキシコのお金が流...
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私と朝日新聞 2度目の東京経済部の12 ミュージカル

そろそろロンドンを離れなければならない。ロンドン最終回の一部はコピペ、残りは『確か、まだ書いてなかったよな」という組合せにする。思いつくままのオムニバスになるが、お許し頂きたい。コピペ、その1まだロンドンにいる。ホテル近くのパン屋さんで朝食...
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私と朝日新聞 2度目の東京経済部の11 ロンドンの日曜日

ダブリンで1泊した私は、再びロンドンに戻って「プロジェクト金融」の取材を続けた。ロンドンでの滞在は2週間ほどになった。その2度目のロンドン、日曜日に戻ったロンドンを私は次のように書いている。かくして、私は再びロンドンの地を踏みしめた。日曜日...
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私と朝日新聞 2度目の東京経済部の10 ダブリンに足を伸ばした

実は、ここまで書いてきてある障害にぶつかった。私の「Tokyo Money」世界一周の旅は、以前書いた「グルメらかす」で結構書いているのだ。これまでも何度かリンクを張ったり、コピペで過去の原稿をお読みいただいたりしてきたが、ここから先、どう...
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私と朝日新聞 2度目の東京経済部の9 プロジェクト金融

その頃、東京で膨れあがったお金は国内では使い切れなかった。米国の金融市場、不動産市場に流れ込み、それでも運用し切れなくて海外の大型プロジェクトにも注がれていた。これを「プロジェクト金融」という。私がロンドンに足をおろしたのは、「プロジェクト...
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私と朝日新聞 2度目の東京経済部の8 ロンドン到着

ロンドンはもちろん初めて足をおろす町である、確か、ヒースロー空港に着いたのだと思う。私は行く先々でトラブルに恵まれるらしく、到着早々の騒ぎは、「グルメに行くばい! 第36回 :番外編2 ロンドン」に書いた通りである。ここも皆様の手間を省くた...
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私と朝日新聞 2度目の東京経済部の7 香港での路上ナンパについて

「パンダとクマ」の原稿を仕上げた私には、もう香港に用はない。次の目的地、ロンドンを目指すばかりである。香港を発つ日のドタバタは、「グルメに行くばい! 第35回 :番外編1 香港」に書いたが、そこまで飛んでいただく皆様の手間を省くため、ここに...
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私と朝日新聞 2度目の東京経済部の6 同文同種の話

もちろん、香港では買い物ばかりしていたのではない。ちゃんと取材もした。ところが、どんな人に会って、どんな話を聞いたのか、トンと思い出せない。私の記憶はホントに頼りにならない。ただ、香港で書いたらしい記事はスクラップしてある。9月28日付だか...
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重粒子線を使った治療が終わりました。

9月28日に始まった重粒子線による治療が今日で終わった。これで前立腺にがんが再発しない確率は98.4%とあるから、ひとまず安心してもいいだろう。ところで、重粒子線による治療などご存じない方が大多数だと思う。しかし、男性の5割から8割が、私と...
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私と朝日新聞 2度目の東京経済部の5 内外価格差

「Tokyo Money」の旅は、私にとって「内外価格差」の実情を知る旅でもあった。取材が入っていない時間、私は香港のデパートに出かけ、アクアスキュータムが陳列されているコーナーに足を運んだ。トレンチコートを見る。香港ドルで表示された価格を...
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私と朝日新聞 2度目の東京経済部の4 香港・Excelsior Hotel

私が世界一周の旅に出かけたのは1987年9月のことだった。香港からロンドンに向かい、アイルランド・ダブリンへ足を伸ばす。再びロンドンに戻り、取材が終わればアメリカ・サンディエゴ、メキシコシティ、カリブ海に浮かぶグランドケイマンに赴き、ワシン...
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私と朝日新聞 2度目の東京経済部の3 バイリンガルの苦労

「Tokyo Money」の連載は7月から始まった。まず2回目が私の担当だった。掲載されたのは7月13日である。タイトルは「東京トライアングル」。東京の兜町、大手町、内幸町を結んだ三角形の内側、約300ヘクタールの地域に金融機関が集中してい...
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私と朝日新聞 2度目の東京経済部の2 「A級債」⇔「永久債」

「Tokyo Money」はYaさんと私でまとめる連載である。Yaさんは、直前は確か金融担当だった。この企画も、多分彼の提案だったのだろう。私と違ってYaさんは時代を見抜く鋭い目を持った先輩だった。金融を取材しながら「いま、日本のお金に大変...
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私と朝日新聞 2度目の東京経済部の1 私が国際金融の取材なんて……

東京に戻ってきた。時は1987年5月である。横浜の我が家では長男が公立の中学校1年生となり、娘たちは自宅すぐそばの市立小学校に通い始めていた。長女は5年生、次女は1年生である。1ヵ月ぶりに家族が揃った。2年間空き家にした自宅から出社した私に...
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私と朝日新聞 北海道報道部の21 札幌の悪い思い出

妻女殿の両腕の手首か先が真っ白になったのは、札幌で初めて迎えた冬だった。「なんでこんなになるのかしら」「血の巡りが悪いんだよ。もともと血の巡りが悪いだろう? お前」最初はたいして気にしていなかった。血の気が引いた両手も、時間がたてば元に戻っ...
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私と朝日新聞 北海道報道部の20 札幌、我が家のあれこれ

私は家族を、三重県津市⇒岐阜県岐阜市⇒名古屋市⇒千葉県浦安市⇒横浜市鶴見区⇒札幌市、と連れ歩いた。おかげで長男は幼稚園4つ、小学校3つ、長女は幼稚園2つ、小学校3つ(1、2年を鶴見、3、4年を札幌、5,6年を鶴見)と渡り歩いた。やや安定して...
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私と朝日新聞 北海道報道部の19 札幌ジンギスカンのガイド

札幌出身、東京の女子中高一貫校で長く働き、いまは桐生に移り住んでいるMa氏なる友人がいる。定期的に飲み会を催す仲だが、しばらく前に札幌の話になり、「ジンギスカンなら『だるま』だよね」とふと口にした。思いもかけない反応が戻ってきた。「えっ、大...
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私と朝日新聞 北海道報道部の18 道東を旅したの2

道東旅行3日目。何事もなくバンガローで目覚めた。手近なもので朝食を済ませると、私たちは車に乗り込んだ。今日の目的地はサロマ湖畔にある民宿である。根室半島の根っこを北東から南西に横切って峠を越える。坂道を上りつつあった時、1枚の看板が目にとま...
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私と朝日新聞 北海道報道部の17 道東を旅したの1

夏休みを利用して道東を旅したのは1985年8月である。「旅をしたい」と言い出したのが誰だったかは忘れた。まさか子どもの1人が言い出すはずもないから、私か、あるいは妻女殿だったに違いない。だが、計画は私がたてた。今年は道東を回ろう。来夏は道北...
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私と朝日新聞 北海道報道部の16 札幌で横浜の博多ラーメンを食べた話

蘇ってくれる記憶に関する限り、札幌での仕事の話は出尽くした。これからしばらく札幌での暮らしをご報告する。札幌ラーメンといえば全国に通用するブランドである。そんなに美味い店ばかりではないことは「グルメで行くばい! 第12回」でしつこいほど詳細...
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私と朝日新聞 北海道報道部の15 札幌ア・ラ・カルト

札幌に赴任したサラリーマンは2度泣くといわれる。1度は札幌転勤の辞令が出て「ああ、俺も花の都東京から都落ちか……」と泣く。2度目は「もう東京に戻るのか。もっと札幌にいたいのに……」と泣く。それほど札幌はよそ者を受け入れ、暖かくもてなす街だそ...
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私と朝日新聞 北海道報道部の14 餞別の問題

私に、東京経済部に戻れとの辞令が出たのは1987年3月末か4月頭のことである。この年、統一地方選挙があり、1ヵ月東京帰任が伸びた。子どもの学校があるので家族は3月末に横浜に帰し、私は1ヵ月の単身生活を送った。選挙が終わると送別会ラッシュが待...